2008年(平成20年)8月20日号

No.405

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花ある風景(320)

並木 徹

過疎は日本人の”病気”である

 劇団「ふるさときゃらばん」のふるきゃら流エコミュージカル「ホープ・ランド」を見る(8月6日・きゅりあん大ホール)。いつもながら石塚克彦・作・演出には驚かされる。「過疎は病気である」という意外な言葉が飛び出す。だが、よく考えれば、戦後日本の教育が自己中心的で我利我利亡者を育て上げた故である。良い暮らしを求めて田舎から都会へ、一流大学を求めて東京へ、金にならない、つらい、汚い仕事よりサラリーマン・ウーマン、お役人へと人々は農村を捨てて都会へ住みつく。それを当然の如く思いこんでいる。ドイツやヨーロッパでは過疎地がないという。教育環境の悪い都会より田舎の大自然の中で子供を教育したいと考えるからだ。日本は今や山里は「限界集落」といわれ、荒れ放題である。
 その日本へ地球温暖化によって沈んでしまうモルバル島の酋長(小山田錦司)が椰子材で船(ドニーと言う流線型の船)を作り、それに乗って、妻のマーマ(坪川晃子)、頑固じいさんのメラ翁(小島茂夫)ら島人とともにやってくる。南の島々の人々を迎えるのがトンザブロウ(十三郎・谷内孝志)とその妻ウタ(内山美穂)、長男俊介(市村啓二)らムジナモリの人々だ。棚田作りや山の暮らしを教える。俊介は大学を出たけれど山も田んぼについても何にも知らない。ジャナ(水香)から事あるごとに「過疎の病気に罹っている」とからかわれる。
日本列島のこの夏の暑さは異常である。ことに雷の音は不気味である。何かのメッセージという気がきしないでもない。「雷の激怒と似たり鉄砲水」(悠々)
島の人々は島が沈むと言う言い方は嫌いで、海面があがってくると言う。ある地質学者が「世界が沈んでも日本は山国だから大丈夫だ」と冗談とも本当の事ともつかない話を聞いたことがある。お芝居の中でそれが日本の実業家岡本社長(小川善太郎)の招きで来日するとはありそうな出来事である。

 日本の山の荒廃はひどい。炭焼きも下刈りもしなくなった山には10種類以下の樹約さしか生息しない。ちゃんと手入れをすれば40種に近い草木が生き山名菜も茸も動物も生きることができる。それは太陽の光が地面まで差し込んでくるからだ。
酋長ら島人達は言う。「大地と水と太陽が有れば人間は生きてゆける」船造りも家造りも農業も漁業も大人になるまでに覚えてゆく。父子相伝である。みんな何でも一緒である。コンビニとお金さえあれば生きてゆけると思いこんでいる日本の若者はかってバラバラである。自分のことしか考えない。老人に対する思いやりもなければ、無関心である。ムジナモリにもあまのじゃくはいる。ガンちゃん(大塚邦雄)である。荒廃した山里が島の人々によって復活されるのを快く思わず、毒茸を食べるよう仕向けて一悶着起こさせる。その悶着が勘違いで上手く収まる。
 日本の環境問題は単にCO2の排出だけではなく、自然と共生することを忘れた「心の病気」であるとこのミュージカルは教えている。

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