安全地帯(224)
−信濃 太郎−
「友あり遠方より来たらず 悲しきかな」
毎年8月15日、靖国神社で戦友会を開いている歩兵3連隊(東京・麻布)の87歳の元軍曹が今年は1時間待ったが誰も現れなかったという(8月18日毎日新聞)。同紙によればいつもは30人ぐらい集まった戦友が近年は10人に減り、昨年は6人であった。
歩兵3連隊といえば日露戦争では旅順攻撃に参加、案子山砲台を陥落させた勇猛な連隊である。また昭和11年2・26事件に関係,9百数十名が参加する。昭和19年8月12日28師団に所属し満州から宮古島に移駐した。同島では空襲にあっているが隣接の沖縄の僚友24師団の苦戦を切歯しつつも大きな損害を出さず敗戦を迎える。
戦後も63年たつ。よる年波には勝てない。敗戦を日本で迎えた陸士59期生の中隊会、区隊会も年々参加者が少なくなり解散を余儀なくされている.私のいた予科23中隊1区隊会も今年11月で幕を閉じる。国のために死を考え同じ釜の飯を食った同期生の絆は固い。理屈ではない。歩3の戦友会も同じであろう。昔を懐かしむのではなく、今なお切磋琢磨しお互いに知的刺激を受けながら生きようと集うのであろう。その意味で昨今は中隊、区隊の組織を離れて地域的に「勉強会」「読書会」などに変わりつつある。
斎藤史さんは「老いてなお艶とよぶべきものありや 花は始めも終りもよろし」と詠った。
「艶」持ちたいものだ。確かに歩いていても若者に後ろから次々に抜かれてゆく。ゴルフの飛距離も年々落ちてゆく。体力は落ちてくる。だからといって落ち込む必要はない。好奇心、向学心、社会奉仕。老いてもできることはたくさんある。そう思う心が顔に現れ、表情が晴れ晴れと輝く。
例年の如く8月18日、19日、軽井沢72ゴルフで毎日新聞社会部のロキード事件取材班だったの連中とゴルフを楽しんだ。この会も今年で20回を数える。はじめは参加者が20人近かったこの会も年々参加者が少なくなり。今年は初日が7名で2日目が6名であった。すでに全員定年を迎え、65歳を超えた。それでも会社社長、大学教授、文筆家ありで多士済々であるのは嬉しいことであった。スコアはともかく、ここで出る10歳以上年の離れたかっての部下からの話が私には為になる。これも「艶」になる秘訣かもしれない。
戸隠に滞在中雷をよく聞いた。
激雷に剃りて女の頸つめたし 石川圭郎
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