2007年(平成19年)3月10号

No.353

銀座一丁目新聞

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追悼録(269)

名文記者・藤野好太郎君を偲ぶ

  つい最近、毎日新聞の社会部時代一緒に仕事をした藤野好太郎君の夢を見た。藤野君がなくなって20年以上もたつのにおかしい話である。どこかへ張り込みにいったのに二人とも車の中で寝こんでしまって、どうしようと困っているうちに目が醒めてしまったという夢である。「夢はメッセージである」という心理学者ユング流に解釈すると今、「友人とやっている共同作業が上手くいかないから注意するように」というメッセージかもしれない。それでも藤野君よ何故いまごろ出てきたのという疑問がわく。皇后様のお加減が悪いと新聞で伝えられたからではないかと思う。二人とも昭和30年に社会部にできた「皇太子妃取材斑」の一員であった。800人に上る候補者の名から最後の一人を発見する虚しい努力をした。正田美智子妃に毎日が一番早く気がつき、公式発表まで綿密な取材を重ねた。その成果が特別号外に現れた。正式発表の日(昭和33年11月27日)毎日は8ページの特別号外を出したのに朝日は2ページの号外、読売は半ページの号外で質、量とも毎日が圧倒した。社会面トップの「皇太子の恋」を書いたのが藤野君であった。「毎日新聞百年史」もふれている。「淡々として抑制して、ロマンスを暖かく美しく書きあげた素晴らしい文章であった」と紹介する。
 この特別号外を巡って宮内庁クラブで問題が起きた。特別号外は各社とも予め印刷して販売店へ送りこみ、発表と同時に一斉に配る手はずになっていた。一部の毎日の販売店で手違いがあったらしい。宮内庁の公式発表直前になってある社が突然「今、毎日新聞が協定に違反して号外を配りだしたという通報があった。記者クラブ総会を開いて毎日を除名退庁させろ」と怒鳴った。記者室は忽ち騒然となり「毎日を除名しろ」の声に包まれた。除名されてしまっては正式発表を聞くことも出来ず、今後の取材にも差し支える最悪に事態となる。その時、この日臨時の宮内庁デスクとしてきていた三木正さんが立ち上がり「毎日が協定違反した証拠を示せ」と除名反対の非を唱えた。「部外からの通報など証拠にならない。毎日を陥れる策謀かもしれない。除名決定には事実の調査確認が必要だ。今皇太子妃が発表されるという時に除名を決定して後になってから事実が違っていたと分かった時、毎日が受けた損失をどうやって補償するのか」。さすが裁判所クラブに在籍した経験者だけに論理整然たる三木さんの発言に答える者は誰もいなかった。この「名発言」で毎日は除名をまぬがれた。
 藤野君とは昭和40年代にはともに社会部のデスクとなり「この黒い霧を払え」と政界の「政治と金」の問題にメスを入れ大きな話題を呼んだ。それから40年、政治の世界は一向に変わっていない。新聞は絶えず飽きずに「政治と金〕の問題をしつこく追及すべきであろう。
 昭和60年の夏ごろ、筑波大学の先生になって学生達の人気になっている藤野君が体調を壊して入院していると聞いて見舞いに行った。当時、私は西部本社代表で月に一回ぐらいしか上京しなかったので藤野君の病気のことは全く知らなかった。やせ衰えていた藤野君は「よく来てくれた」と泣いて喜んでくれた。それが最後となった。60歳であったからこれから大学でやりたい事が一杯あったと思うが、それが神が定めた運命という奴かもしれないと今更のように思う。

(柳 路夫)

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