2007年(平成19年)2月1号

No.349

銀座一丁目新聞

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茶説

一犬虚を伝うれば万犬実を伝う

牧念人 悠々

 アメリカで「南京事件」がドキュメンタリー映画になった(産経新聞1月25日・題名「南京」)。日本軍の残虐性を誇張する南京事件を取り上げるのは見逃すわけにはいかない。「一犬虚を伝うれば万犬実を伝う」の諺を思い出す。一人がウソの出来事を語ったのに他の者たちがそれを真実と受けとり語りだしたため、そのウソがあたかも真実のようになるのを指す。南京事件の反日宣伝はどうも底が深いような気がする。
 はじめて南京事件をでっち上げたのはハロルド・ティンパーリ編「戦争とは何か‐中国における日本軍の暴虐」である。この本は昭和13年7月にロンドンやニューヨークで出版された。今か ら69年前の話である。日本軍が南京で暴行を働いたとウソの「告発」した世界最初の本であった。ティンパーリはオーストラリア人で、当時イギリスの「マンチェスターガーディアン」紙の上海特派員であった。実はティンパーリは国民党中央宣伝部の顧問であった。国民党宣伝部は報道・言論を統制し宣伝を主管する部門である。当時、お金を出して反日の国際世論を作り出すのに懸命であった。アメリカの支援を得るための戦争プロ パガンダであった。「戦争とは何か」に匿名で執筆したマイナー・S・ベイツ金陵大学教授(南京安全地区国際委員会委員・東京裁判の検事側証人)も中華民国政府の顧問であった。ルイス・スマイス金陵大学教授(南京安全区国際委員会書記・アメリカ人)も「南京地区における戦争被害」(昭和13年)を出して反日宣伝に協力している。
 日本国民が「南京事件」を知るのは東条英機大将らを裁いた「東京裁判」である。昭和12年12月13日、日本軍が南京を占領した直後から起きたといわれる虐殺事件である。検事側は9人の証人を出廷させてた。中国側は犠牲者の数について43万人と主張した。先に出てきたベイツ金陵大学教授とジョン・G・マギー牧師(アメリカ聖公会布教団)の二人がもっとも衝撃的な証言をしたと冨士信夫さんは『私が見た東京裁判』(上・講談社学術文庫)で記している。それによれば、マギー証人が証言した日本軍の数多くの不法行為はほとんど他の人から聞いた伝文証言であって証拠価値のないものであった。彼が直接目撃した事件はたった一件であった。東京裁判では中支那方面軍参謀中山寧人大佐は『婦女子に対する不法行為及び略奪について、確かに小規模で行われた』と証言する。捕虜を処断したという記述もあるが、その数は43万より遥かに少ない。
 ドキュメンタリー映画『南京』は中国中央テレビの協力を得て制作されている。いくら「反日映画ではなく反戦映画である」と強弁しても犠牲者の数字は東京裁判の数字を引用している。勝者が敗者を裁いた茶番劇「東京裁判」を信用するとは、今なお中国の反日プロ パガンダに乗せられているといわざるをえない。
 友人の広瀬秀雄君が昨年12月14日南京を訪れた。気温は10度であった。中国人たちはみんなコートをきていた。南京占領当時の気温を体感するためである。これには訳がある。南京事件を告発した中国側の映画”中国の怒吼”には日本軍の南京占領が12月13日という冬の季節の関わらず画面に出てくる人の服装が夏の服装である。夏の服装で過ごせるのか確認するためであった。この”中国の怒吼”がウソでかためられたフィクション映画であるといち早く指摘したのは冨士信夫さんであった(『私が見た東京裁判』下)。画面に出てくる中国人の服装がすべて夏服であったからである。
 東中野修道・小林進・福永慎次郎著『「南京事件」―証拠写真を検証する―』にも「私たちが見てきた写真はざっと3万枚以上になるが南京大虐殺の『証拠写真』として通用するものは一枚もなかった」とある。
 南京には15もの南京事件の記念碑がある。15箇所という数字は日本人には驚きである。昨年12月から日中双方の歴史認識にある溝を埋めたいと両国の専門家による歴史共同研究が始まった。どれだけ溝が埋まるか道はなはだ遠いといわねばならない。「万犬」はいつまで「虚」を伝えるつもりなのであろうか・・・

 
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