2007年(平成19年)2月1号

No.349

銀座一丁目新聞

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競馬徒然草(103)

―映画が観られる競馬場― 

  競馬場で映画が観ることができるのは、東京競馬場だけだろう。東門を入ると競馬博物館があり、そこの映像ホールで上映している。まだ観たことのない人には、お勧めしたい。360度の全周映像や、プロジェクター投影による大型映像で、躍動する馬や競馬を楽しむことができる。外国の競馬場やレース、日本のGT馬たちのレースなど短編が多い。短いもので15分、長いものでも1時間。手軽に楽しめる。
 この映像ホールで、これまでのGT馬のレースを取り上げているのを観た。馬の名前は知っていても、レースを知らないものや記憶が定かでないものもある。それらの中で特に印象に残った馬のことを取り上げたい。それはヒカルイマイ。71年(昭46)の皐月賞とダービーを制したクラシック2冠馬だ。後方一気の鋭い脚は、ケタ外れだった。特に71年のダービーは、「伝説のダービー」として語られる。当時、ダービーの格言のようなものとして、ダービーポジションということが言われた。勝つための位置取りとして、1コーナーで10番手以内にいないと勝てない、という意味だ。だが、田島良保騎手(当事23歳。現・調教師)は、それを無視して騎乗。3コーナーを回っても27番手という絶望的な位置取り。4コーナーで田島騎手は馬をうまく外へ持ち出し、「空前絶後」といわれる末脚を発揮。直線だけで26頭をゴボウ抜きした。
 この圧倒的な強さは、「他馬が止まっているように見えた」と言わしめた。田島騎手はレース後に名言を残した。「ダービーに乗ったのではなく、ヒカルイマイに乗ったのだ」と。このヒカルイマイは残念ながら屈腱炎のため菊花賞を回避し、2年の休養後そのまま引退した。その後は種牡馬として期待されるはずだった。だが、不運な生涯を送ることになった。
 そのあたりのことは、別の機会に譲りたい。ともかく東京競馬場の競馬博物館の映像ホールへ出かけてみることをお勧めしたい。

( 新倉 弘人)

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