2007年(平成19年)2月1号

No.349

銀座一丁目新聞

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追悼録(265)

阿部真之助の座右の書は「孟子」

 時折、毎日新聞の先輩の遺稿集を読む。意外な発見がある。高原四郎という名記者がいた(昭和62年4月9日死去、享年76歳)。学芸部長、サンデー毎日編集長、編集局長(西部本社)、監査役などを歴任された。新聞が好きであったようで、すでに東京高校時代、高校創始の新聞「東高時報」の編集に携わった。東大在学中は殆ど授業に出席せず「帝大新聞」作りに励んだ。卒業が心配されたが、高原さんは主任教授の塩谷温先生から、口述試験の際「卒業なさっても、東洋文学の精神を忘れないように・・・」とパスさせてくれた。宇野哲人先生も「大学へ来て何かひとつ身につければいい。まあ君は新聞を身につけたからね」いったという。まことのおおらかな時代であった。今はこうはいくまい。
 駆け出しの学芸部記者の時、部長は阿部真之助さんであった。高原さんが阿部部長に「新聞記者としてどんな本を読んだらよいですか」と質問した。「孟子と論語を読むんだね。特に孟子かな」と答えた。阿部部長は小学生の時すでに四書(大学、中庸、孔子、孟子)五経(易経、書経、詩経、礼記、春秋)の素読を習っていた。新聞文章の基本は孟子、論語、韓非子あたりからきているという。新聞文章の基本が四書にあるとは知らなかった。「ともかく1週間に1冊の本を読め」と「よく遊べ」が基本と教わった。四書五経に興味を持ち始めたのはここ数年で「春秋左氏伝」(竹内照夫訳・平凡社版)などは18頁にシオリがさしたままで机の上に並んでいる。
 「座右の書」を単に机上の本というふうに解釈するならと高原さんは「広辞林」を上げた(奥付は昭和16年3月26日新訂携帯725版発行普及特価3円90銭)。「をかめはちもく」は正確に「傍目八目」と書くことを知ったと正直に書いている。私も知らなかった。確かに辞書は丹念に読むと意外な事が判かって面白いらしい。
 戦時中は従軍記者として中支、満州、ラバウルに派遣されている。昭和18年はじめ海軍報道班員として一式陸攻に同乗、ガダルカナル島へ夜間爆撃に参加する。島の上空で照空灯に照らされ、周囲に対空砲火が炸裂する中を取材した。「観念して腕を組み、じっとその砲火のなかにいた」と書く。高原さんが出版局長の時、私は「サンデー毎日」の編集部員であったが、時たま昼食をご馳走になるだけであった。もっと話を聞いておけばよかったと思うばかりである。偉い記者ほど寡黙であるのは残念である。

(柳 路夫)

 
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