2007年(平成19年)2月1号

No.349

銀座一丁目新聞

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花ある風景(264)

並木 徹

「杖ついて恥ずかしさこらえて散歩デビュー」

  最近、友とはよく俳句の話になる。さる日、梶川和男君からメールが送られてきた。「先日、遅れてきた年賀状の中にある同期生の一句がありました。<杖ついて恥ずかしさこらえ散歩デビュー> NHKの介護百人一首5222人中の入選作品(昨年12月)とのこと。彼は数年前に脳梗塞を患い闘病生活をしています。言葉不自由で、車椅子での生活。奥様がとにかく前向きで、何でもやろうと、積極的にことを進める方です。本人は酒が好きで今でも結構召し上がるらしい。それで2回ほど同じ病に冒されたのですがそれをそういう酒びたりではまずいと考えられたのでしょうね。頭を使うこういう歌の道を選ばれた。夫唱婦随の時代は過ぎて婦唱夫随野時代。女性の力は偉大ですね。今年も船舶59会に出席すると思いますので、お祝いをしてあげたいと思っています。所司慎吉君の話です」。医者の彼とは2001年5月8日長野県の浅科村の権現山の「碑前祭」で初めて会った。奥様の粋子さんに車椅子を押されて参加、みんなを感激させた。その後2度ほど「碑前祭」に出席した。
 1月18日会合があり、そこで田中長さんから同期生川口久男君(高槻市在住)の句集「旅のあかしに」を見せていただいた。私の心に響いた俳句を抜書きする。
  いさかひの心安らぐ春の雪
  春愁やお世辞なんぞは聞きたくなし
  暮れてなほ嵯峨野に尽きぬ花心
  蒼穹に白き群舞や花水木
  在りし日の母の文穀明易し
(メモには母からの便りは今でも懐かしいとあり、母の辞世の句を記す。<弁を閉づ力おとろへ白牡丹 須箕女>)
  鳴神の呪縛の解けし大夕立
  去る我に虹懸けくれし島いとし
(メモには「安保破棄沖縄返還」の旗を作って沖縄返還闘争を戦う。何十年後に訪れた沖縄。<島唄に魅せられし夏旅二日>の句とともに思い出が尽きないとある)
  太極拳大草原に秋立ちぬ
  草原の夜は音絶えて星の飛ぶ
(メモには1945年渡満、陸軍航空士官学校の司令部偵察機要員としての訓練が満州西部ホロンバイルの地で始まったとある。注・田中長君も一緒で、場所は平安鎮)
  虚子の後歩みし過去も萩の道
(虚子との出会いは、鳥取の伊吹植物園で、川口君は母の吟行のお供、まだ小学生であった。亡き母の追悼句会には虚子の愛弟子で旧豊岡藩主の14代目に当たる京極紀陽さんも出席された。また星野立子さんからの弔意、阿波野青畝さんからの弔意と励ましの手紙を頂いたという。子供の頃から川口君の環境は著名な俳人達に囲まれていたことになる)
  耀いて氷上の華舞ひ了へぬ
(2006年2月、トリノ冬季オリンッピクで荒川静香選手金メダルに耀く。私はこの時<風光る君が代流る金の舞>。梶川君は<春静かリンクに君が代口ずさむ>とそれぞれ詠んだ)
  人生に余白ありて日向ぽこ
あとがきには「今回入院後、最初の心臓手術から、続く膀胱ガン手術まで約2週間の間、句帳から60句ばかり選んで、備忘録を加えて取りまとめました。自然と人間を私なりに真剣に見つめる中で切り取った17文字の蓄積です」(2006年初冬)とあった。
 虚子は俳人の交友を去来と芭蕉の例を挙げて説明する.挨拶代わりに句を読むという。去来が「鳶の羽もかいつくろひぬ初時雨」といえば芭蕉は「一ふき風の木の葉しづまる」と答える。なかなかいいものである。
これに見習って挨拶する。ともに靖国神社に昇殿参拝した梶川君には「靖国や誓い唱えつ今朝の春」まだ見ぬ川口君には「もののふの誇り忘れじ春を待つ」

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