1998年(平成10年)6月20日(旬刊)

No.43

銀座一丁目新聞

 

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茶説

占領政策究極の目的は何か

牧念人 悠々

 映画「プライド 運命の瞬間」をみて、さまざまな思いにかられた。

 そのひとつが、アメリカの見事なほどの占領政策。国務省が日本占領の数年前から準備し、議論していたという日本占領政策である。その目的は日本の非軍事化にある。

 監督の伊藤俊也さんはいう。「アメリカの戦略は、もう二度と日本をアメリカと軍事的に対抗できない国にすべく、現実の武装解除に加えて日本人の精神そのものの武装解除に踏み込んだ」

 その戦略による第一弾が東京裁判。日本という国家と日本人を徹底的に断罪し、東条英機を悪の権化にした。と伊藤さんは解説する。

 私も同感である。明星大学教授、高橋史朗さんによると、通常の世界史の中における占領は、戦勝国が敗戦国の政治や経済の仕組みを変えるというのが通常の占領である。ところが、対日占領はそうではない。哲学を解体するという精神的武装解除という実に精神を改良するということに占領政策の大きな主眼があったという。

 “精神的武装解除”という点に日本人は注目し、深く思いをいたさなければならない。

 戦後の日本の教科書から「国家」「国民」「わが国」「愛国」といった言葉が消えた。また、国家的英雄の実績が、歴史の教科書に載らなくなった。こんな国は世界中探してもない。民主主義と国を愛することや国のために尽くすこととは矛盾しないはずだ。

 つぎが東条英機元大将。伊藤監督は東京裁判の本質を見抜き、それと最もよくたたかった者が東条英機その人であったとしてドラマを構成した。

 この映画は東条大将を英雄視するものだという批判もあるが、映画の主人公が東條さんであってみれば、それもしかたあるまい。むしろ、私は逮捕当日、ピストルで自殺をはかり失敗したのは武人としてぶざまであったと思う。終戦時の阿南陸軍大臣が「一死大罪を謝す」と古式にのっとり割腹自死をとげたのにくらべればなおさらである。本人自身もぶざまであったと反省している。

 また孫が転校先の小学校で「この子のおじいさんは泥棒より悪いんです」と紹介するシーンもあって、当時の日本人の気持を表現しており、みる人によって、東條元大将への思いはさまざまであろう。

 東京裁判は勝者が敗者を裁いただけでなく、日本を精神的非武装にするための一過程にすぎなかった。

 本来なら、日本は、独立した1952年(昭和27年)に、占領政策を全面的に見直すべきであった。それを民主主義の美酒に酔い、時の為政者は怠った。そのツケが50余年たったいま、日本に払わされている。その見直しは今からでもおそくない。

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