1998年(平成10年)6月20日(旬刊)

No.43

銀座一丁目新聞

 

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連載小説

ヒマラヤの虹(14)

峰森友人 作

 次の日の朝、慶太はウダヤと共にタクシーでネパール赤十字ポカラ支所に向かった。赤十字では頬から顎にかけて真っ黒のひげを貯えたマデュカールより少し年上の男が出迎えた。支所の責任者、マヘシュ・ポクレルだった。

 マヘシュは狭い事務所の中へ慶太を案内し、青いビニールを張ったパイプいすを勧めると、自分が座っている机の引き出しから一冊のパンフレットを取り出した。大きな赤十字マークの横に「ネパール・レッド・クロス・ソサエティ」と書かれている。マヘシュは各国の赤十字が協力している活動の一覧表が載った最終ページを開くと、水の汚染がどういう結果をもたらすかという村人への教育など日本赤十字社の協力で行っている現在の活動概要を説明した。

 「ところで、実は明日にでもタナフン郡のその赤十字プロジェクトの現場を見てみたいのですが、可能でしょうか」

 説明が一段落したところで慶太が聞いた。

 「ええ、もちろんです。ではこうして下さい。ポカラの東二十キロのところで山に入ると、ガナパテという村があります。そこに各地の村で活動するボランティアを統括しているプログラム・オフィサーが常駐しています。そこに寄って、お世話出来るボランティアを尋ねていく要領を聞いて下さい」

 彼はこう言うと、薄茶色の漂白されていない紙を取り出して、行き先の地図を書いた。

 

 翌朝午前八時にホテルを出発してカトマンズ方向の東へ三十分、デュレゴーダという町でタクシーを降りた。そのすぐ下を流れるセティガンダキ川に向けて急な坂を下ると、約五十メートルの長さの吊り橋が水面から三十メートルの高さでかかっていた。四月の百合とのトレッキング中も何度か吊り橋を渡ったが、これほど大きな吊り橋は初めてだった。橋の下には真っ青な水が岩に当たって砕け、岩の下流側で白く泡立ちながら大きな渦を巻いている。吊り橋の中央でじっとそれを見詰めていると、轟々と鳴り響く流れがなぜか逆に深い静寂を招いた。流れ以外のあらゆる音がかき消され、同じリズムの轟音は耳が慣れると宙に消えたのである。奔流を見詰める慶太の意識は次第に青い沈黙に吸い込まれ、いつしかその底に百合の姿を探していた。百合の顔は浮かびかけては揺らめいて消えた。慶太には決していい兆候ではないように思えた。ワイヤーロープを握っていた手は汗でびっしょりだった。

 いくつかの集落を抜けて訪ねた赤十字のプログラム・オフィサーからは、行き先の懇切な説明を受けた。しかし慶太の頭に残ったのは、ドルフェディ村担当のボランティアはインディラという名前で、「歌が上手で、みんなから小鳥ちゃんと呼ばれている」ということだけだった。ネパールでも歌姫が小鳥に例えられているのが面白かった。

 連絡事務所を出てしばらくは、田畑の広がる田園風景が続いた。稲の収穫期はとっくに終わり、コドの収穫も一段落していた。十歳前後の少年二人と五、六歳の少女一人が三頭の水牛を追って狭い山道を下りて来た。水牛の鋭い角を恐れて、慶太が慌てて山側の土手を駈け上ろうとすると、少女が手にした細い木の枝を振って、水牛の尻に一鞭当て、刈り取りがすんで固く乾燥した田んぼへ三頭とも追いやった。少年たちはただにやにやしているだけだ。少年たちはゴム草履を履いているのに、少女は裸足である。その足は乾季のヒマラヤのすそ野の固い山道の土と同色だった。少女は「あたしも草履が欲しい」と泣いたことはないのだろうか。汚れた顔と長い髪、着古したばかりか、肩のあたりが窮屈そうな短い赤いワンピース。黒く大きな目の少女には野生の女の魅力がみなぎっていた。

 短い休憩を挟みながらさらに歩くこと一時間半、インディラがもう一人のボランティアと基地にしている農家に着いた。いつのまにか、慶太の後ろに子供が四、五人付いて来ている。めずらしい外国からの訪問者に興奮している。後ろを振り返った慶太がちょっと手を上げ、「ナマステ」と声をかけただけで、子供たちは大はしゃぎした。

 太陽が山並みに隠れ、薄暗くなってからパートナーのボランティア女性ビジャヤと共にインディラが帰った来た。手に提げた布袋には、周辺の村の各家の調査表が入っていた。各農家一ページの調査表は、トイレの管理など二十項目に渡って衛生管理状況の点検結果を記入するようになっている。一軒の家を訪ねて山を上り、また次を訪ねて山を下る活動を毎日続けているのである。

 インディラも十分ではないが、英語を話した。インディラとビジャヤの部屋は、長屋のように並んだ三部屋のうちの家主の女性の部屋とは反対側の左端だった。家主の部屋にランプの灯が点ると、インディラとビジャヤも夕食を支度するために部屋に入った。二人は長い間真っ暗な部屋で支度を続けた。慶太はこの間に、バックパックから着替えを取り出し、百メートルほど離れた水場で体を拭いたが、山の奥の清流から引いた水は既に肌に痛いほど冷たかった。

 水場から戻ると、インディラは小さな明かりの灯油ランプをそばに置いて、石積みした庭の端で野菜を洗っていた。リーダー・ファーマーと呼ばれる模範農家の主が遠来の客があると聞きつけて、野菜炒め用に持ってきてくれたのだという。インディラはプラスチックの小さなタライに張った水で、かなり大きな野菜の葉を一枚、一枚丁寧に洗っていた。慶太はポケットから水場で使ったヘッドランプを取り出して点灯すると、瞬間にインディラとそのまわりが光の輪の中に切り取られた。彫りの深い顔立ちに黒く大きな目。鋭い光りが眩しいためか、あるいは遠来の客に明るい光の中で顔を直視されるのが恥ずかしいからか、インディラは額に手をかざして慶太の方を上目使いに見て、恥ずかしそうに笑った。が、すぐまた下を向いて野菜洗いを続けた。

 慶太はヘッドランプをインディラの頭にかけてやった。途端にタライの中の野菜と水が光を反射してきらきら光った。インディラはその明るさに驚嘆して、「マア」と小さな声を上げた。野菜の葉は深い緑色だった。勢いのある葉の張り方はまさにもぎ取ってきたばかりの新鮮さを証明している。タライの底には細かい土が沈んでいる。水も野菜の緑で淡い緑に染まっていた。時計は既に八時を回っている。慶太はその時初めて簡単な朝食をしてから何も食べていないのに気付いた。

 野菜の掃除が終わったインディラは、ヘッドランプを頭からはずすと、はにかんだ笑みと共に慶太に返した。野菜の入ったタライと灯油ランプを持ったインディラが入っていった部屋の隅では、ビジャヤが灯油コンロでご飯を炊いていた。日が暮れてから帰ってくる彼女たちには、昼間薪を集める時間がない。このため報告とか研修等で月に二、三度山を下りると、プラスチックのタンクに灯油を買ってくるのである。

 インディラは部屋に消えるとすぐに、ステンレスの水差しと小さなステンレスのグラスを持って出て来た。ロキシーだった。慶太が水場に行っている間に、家主が客用にと持ってきたのだという。新鮮な野菜にロキシー。思いがけないもてなしだった。家主の夫は数年前に病死した。男がいなくても、自分が栽培したコドでロキシーをつくり、祭りや来客に備える。貧しさの中で精一杯準備したもてなしである。ロキシーは柔らかな優しい味がした。既に空腹感を通り越している慶太の臓腑に、ロキシーが染みた。真っ暗な中で、慶太は百合が初めてロキシーを口にした時の顔を思い出した。それはカトマンズのレストランでだった。小さな猪口で一口なめた百合は、「おいしいですか」と慶太に聞いた。その言葉と声がつい二、三日前の出来事のように慶太の耳に響いた。慶太は百合に語りかけるように、「おいしい」と声に出した。sakana.gif (26873 バイト)

 肌を刺す寒気をずっと我慢していた慶太は、ロキシーの生み出す熱で落ち着きを取り戻した。黒い山並みを覆う空は大小無数のきらめく水晶の粒でいっぱいである。その一つ一つがお互いにぶつかり合い、鈴の音のような透き通った響きをたてているような感じがした。いくつかの山を隔てたヒマラヤ山中のどこかで、百合もまた今この空を眺めているに違いない。百合はどのような姿で何を思っているのだろうか。ロキシーを手に星空に見入っていた慶太は、料理し終わったダールバートを持ってインディラが後ろに立っているのにまったく気付かなかった。

 食事の後片付けが終わると、インディラは外は寒いからと、自分たちの部屋に慶太を招き入れた。六畳程の広さの細長い部屋の一番奥は台所で、いくつかのステンレスの食器が並べられている。土のかまどもついている。しかしインディラたちはこれを使っていない。木で出来た粗末な小さなベッドが一つ、この上でインディラとビジャヤの二人は寝袋を並べて一緒に寝る。ベッドの下は彼女たちのたんす代わりで、衣類や公衆衛生の通信教育の材料など個人の大事な物をすべてここに保管している。ベッドのまわりは土間。そのわずかな空間が彼女たちの居間である。二人の若い女性にとって、一部屋の空間が生活のすべてを行う神聖な場所であった。

 インディラによると、百合らしい女性の加わった視察団が来たのは十二月初めだった。ドルフェルディ村と隣のフィルフィレ村の二ヵ所を二日間かけて視察した。村の女の日常生活がどのようなものか、何人かの主婦や十代の娘を中心に、克明な聞き取り調査が行われ、実際の労働の様子も見て回った。一行は全部で十人、カトマンズのネパール赤十字本部と国連事務所の女性問題担当者が案内して来た。外国人は、ノルウエー国際開発庁から二人、国際赤十字から一人だったが、その国際赤十字の専門家が日本人で、その通訳兼エスコートをしていたのが、インディラの前にこの地域でボランティアをしていたトリジャという女性だった。

 一行は村の何軒かの農家に分宿した。トリジャも以前はインディラの部屋を基地にしていたことから、日本人研究者と一緒にこの家に泊まった。

 「トリジャは私の部屋、日本人は二階のあなたの部屋」

 少々たどたどしいが、それでも意味は十分分かるインディラの話しを聞いていた慶太は「あなたの部屋」という言葉で胸に熱いものを感じた。その日本人女性が百合だとまだ断定することは出来ない。しかし百合らしい女性が今晩自分が寝るその同じベッドで二週間前に寝た。その女性の、いや多分百合の香りがその粗末なベッドにまだ残されているはずである。

 「その研究者はどんな感じの人だった?」

 「太くない背の高い人。私の仕事のことや、ここのお母さんの朝起きてから夜寝るまでの生活のこと、詳しく聞いた。その人、小さな機械を持っていて・・・」

 「機械?」

 「そう、あの、あ、テープレコーダー。トリジャがここのお母さんから、私、歌上手だと聞いて、それでその人が私に歌えと言うので歌うと、それをテープレコーダーに入れた。まだ歌えるかと聞いたので、もう一つ別なのを歌った」

 「その人はいまどこにいるか知ってる?」

 「分からない。でもトリジャに聞けば、分かる」

 「トリジャはどこにいるの?」

 「分からない。ときどきゴルカの家に帰ると言っていた」

 「それで、その日本人研究者は何という名前だった?」

 インディラはちょっと首をかしげて、考える様子をした。部屋の中の暗闇の中でも、インディラの目は光っていた。インディラは思い出せなかった。

 トリジャのゴルカの家のことは、ポカラの赤十字事務所で多分分かるだろう。三年前まで、その事務所の管理下で仕事をしていたのである。百合らしい女性が国際赤十字の専門家として来た。これは初めての情報である。ノルウエーよりもまず国際赤十字に当たる必要がありそうだ。

 慶太は午前四時前、地鳴りのような音で目が覚めた。下から響いてくるその音をたどっていくと、物置小屋で家主とまだ幼い娘がコドを石臼でひいていた。鶏が鳴き、山の端が白み、水牛が大きなあくびのような声を出したのはそれからずっと後のことだった。

 朝インディラは、予定を早めてプログラム・オフィサーに報告に行くことにしたので、途中二、三の農家を回りながら、一緒に山を下りると言った。二十一歳のインディラは華やかなピンク、十九歳のビジャヤは薄緑のクルタクロワールで、明らかにおしゃれをしていた。高校を出た後仕事を続ける二人は未婚だった。教育程度が高くなればなるほど、結婚時期は遅くなり、子供の数が少なくなるのは必然と言えた。

 インディラとビジャヤが農家に寄って聞き取り調査をしながら山道を下る後ろ姿を見て、慶太はふと、百合とトリジャの姿を重ねてみた。たった二人で、出会う人のいない山中を村から村へ歩いて、百合は何を見つけようとしているのだろうか。百合の手紙には、「野生的な体験」をすると書いてあった。テレビ・ディレクターという時代の最先端にあった知的できゃしゃな肉体の女性が、果たしてトイレも水も不自由なヒマラヤの野生的な生活に耐えていられるのだろうか。慶太の前を行く軽い足取りのインディラが、いつのまにか石ころに足を取られてよろめいている百合の姿に変わった。

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