2006年(平成18年)10月1日号

No.337

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茶説

安倍晋三首相に期待する

牧念人 悠々

 安倍晋三新内閣が発足した。父晋太郎は毎日新聞政治部記者を経て政治家となり、首相の椅子にあと一歩で届くところで病魔に倒れ、その志を達成できなかった。毎日新聞と縁があり(昭和24年4月入社〜同31年12月岸信介外相秘書官になるまで)、毎日新聞西部本社で親しくしていたOBが安倍晋太郎の私設秘書を務め、引き続き安倍晋三の世話役を引き受けているというので何となく新首相には親近感を持つ。大いに期待したい。
 私には父晋太郎よりも祖父岸信介の存在が気に掛かる(母は岸の長女洋子さん昭和26年5月5日安倍晋太郎と結婚)。岸が首相の座についたのは昭和32年2月、61歳の時である。父晋太郎は首相秘書官となる。祖父は秀才で切れ者といわれた。戦前満州国を牛耳った五人の男「二キ三スケ」の一人である(東条英機、星野直樹、松岡洋右、鮎川義介、岸信介)。それでも総理の椅子は遠かった。晋三の52歳というのは確かに若い。新聞が「不安いっぱいの船出」と危惧するのもうなずける。ものの本に寄れば岸は徹底した政治主義をとったという。吉田茂の占領政治から離脱して新たな国家経営のレールを引きたいとして、警職法、小選挙区制、憲法改正、安保改訂へとその政治主義を貫らぬいた。安倍晋三首相が掲げたのは「戦後体制からの脱却」である。目標として「教育基本法の改正と憲法改正」をあげる。祖父と同じ政治主義を取るように見える。首相たる者官僚と同じことをすべきではない。政治主義は大賛成である。不幸にして祖父の政治主義は「安保改訂」で挫折、3年半で内閣をつぶした。その路線は正しかったのだが、内容が余りにも右寄りで、50年先を読んだものであった。議員歴13年、大臣経験は官房長官のみという安倍晋三はあわてることはない。北朝鮮のよる拉致事件、北朝鮮のテポドン発射事件などに見せた対応は鮮やかである。国民への思いやり、国の主権を守る断固たる姿勢、平和を乱す国に対する毅然とした外交的処置の要求など国民の立場に立つた対応、外交的配慮は見事である。私には「期待いっぱいの船出」と見える。世は常に激動する。その真っ白な政治のキャンパスに安倍晋三色を色濃く殴り書きすればいい。
 岸の実弟、佐藤栄作がこういったという。「運命は判らんね。兄貴はわしよりもずば抜けて頭がいい。それが総理を3年余りしかやらなかった。頭の悪いオレが7年もやったのも運命というものだろう」(田尻育三著「昭和の妖怪・岸信介」學陽書房)。安倍晋三の運命やいかに。「運命もその人の性格のうち」というから安倍さんの性格がその運命を決める。

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