2006年(平成18年)9月1日号

No.334

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茶説

治山治水は300年の計である。

牧念人 悠々

 日本列島はこの夏、台風や豪雨による土砂崩れ、川の増水で多くの被害を出した。日本の山、川が荒れている。昔、為政者は治山治水に心を致した。どうやら目先の利害に目を奪われているようである。治山治水は100年どころか300年の対策を必要とする。
友人の安田新一君が豪雨で増水した神奈川・酒匂川でアユつりしていた2人が流されて死亡した事故でこの原因は300年前に起きた富士山の噴火による降灰であると手紙をくれた。しかも8月18日付けの産経新聞が同封されていた。同紙によると事故の模様は次の通りである。「17日正午頃、神奈川県西部を流れる酒匂川(さかわかわ・全長46キロ)が豪雨によって増水小田原市と山北町、開成町、大井町4市町村6ヶ所でアユ釣りをしていた人など25人が中州に取り残されたり流されたりした」流された2人が死亡した。気象庁によると、「台風10号を取り巻く強い雨雲の影響で、酒匂川上流に当たる静岡県湖山町では午前10時頃、1時間に30〜40ミリの豪雨を記録。酒匂川は午前10時15分に約50センチだった水位30分後に1bをこえたところもあった」平成11年8月14日には山北町の玄倉川でキャンプ中のグループが孤立、18人が全員流され13人が死亡する事故が起きている。
 富士山の噴火は宝永4年11月23日(1707年12月16日)で「宝永の噴火」として知られる。このときおよそ10億立方bの山体が一挙に吹き飛び、偏西風に乗った火山灰が江戸の町まで及んだという。死者は6700人という。このときの降砂が酒匂川に流れ込み、そのため酒匂川の下流部の川底が異常に上がり、屡々大洪水を起こすようになる。25人がアユ釣りをしていた小田原市、山北町、開成町、大井町は噴火の降灰地帯で一致する。翌年から治水工事が始まるが遅々として進まず豪雨が見舞われると、堤防が決壊その都度被害を出した。二宮尊徳が酒匂川の堤防に松の木を植えるなど治水工事に腐心したのはこのためであった。被災住民たちは懸命に復興に立ち上がる。(この間の事情については永原慶二著「富士山宝永大爆発」に詳しい)現在日本の山は手入れが行き届かず、山に植えられた樹木の関係で保水力も弱く。川は川で土砂が堆積し、一旦増水すれば中州があっというまに取り残されてしまう。中州は川底と同じである。酒匂川の中州は300年前の降砂でそのような状態になっている。公共工事が毛嫌いされ、政治家が目先の利にとらわれがちな今日人々が身を守るのは自分自身である。レジャーを楽しむ際には上流の気象、台風の進路などに気を配り危険を避けるほかない。酒匂川の事故は治水が300年の計であることを示している。

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