毎日新聞の一面に三段見出しで「名人戦 毎日単独主催案否決 棋士総会 連盟、朝日と交渉へ」(8月2日)と報じられた日、私はブログにこう書いた。「日本将棋連盟は臨時棋士総会で名人戦の毎日単独主催案を否決した。棋士達は『金』の軍門に下った。人情・情誼という『王』を見捨ててしまった」同時になくなった大山康晴永世名人を思った(1992年7月26日死去、享年69歳)。もともと名人戦は毎日新聞が創設したもので昭和10年『実力名人戦』という形で始まった。戦後、一時朝日新聞に移っていたものを昭和51年朝日と契約内容で対立が生じた時、大山さんのお蔭で名人戦が再び毎日に戻ってきた。それ以来、毎日新聞は名人戦と王将戦の二つのタイトル戦を維持してきた。大山さんは名人18期、9段6期、棋聖6期、王将20期の成績を誇る将棋界の実力者である。大山さんがなくなって14年、毎日新聞の恩義を忘れ、時代と共に義理人情、情誼より万事お金に流れるようになってきた。残念である。
大山さんとのご縁は長く、スポニチの社長時代の平成元年2月1日、大山連盟の会長から将棋5段の免状を戴いた。越中島の新社屋に移る前で毎日新聞の9階にあった社長室で授与式が行われた。将棋好きな私には嬉しいことであった。名人戦、王将戦が毎日新聞の西部本社管内で行われる時は必ず前夜祭に出席した。そこでしばしな大山さんと麻雀をした。大山さんは負けなかった。常に勝負の男であった私も主催社側であったが負けることをしなかった。平成2年秋、大山さんが文化功労者になられた時には将棋界からは初めてのことだというのでスポニチから2.8キロのマダイを贈った。対局で日本中を廻っている大山さんは『これぐらいの大きさのが身が締まってて一番美味しいのです』と食通振りを発揮された。今回の名人戦問題はもし大山さんが生きていたらどう処理されたかという思いがしきである。
(柳 路夫) |