2006年(平成18年)2月1日号

No.313

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(6)
オカリナ職人 藤田 東悟

−オカリナ造りと酒造り(1)−

 

  オカリナと日本酒とは何の関係も無いと思われるでしょうが私にとっては非常に深い関係があります。それはオカリナの製造工程は全て手造りで造られ日本酒も過っては全て手造りで行われており、私が酒造りを体験、学んだ時はまだほとんどの工程が人の手で行われておりました。酒造りはどこかの工程でミスをすると良い酒にならないのと同じように、オカリナもちょっとしたミスで良い響きのオカリナになりません。また酒造りの工程の中には感と呼ばれる部分がかなり有りオカリナ造りにもこの感が非常に大事で、誇張ではありませんが酒造りではモロミ温度が0.5度予定より違ってしまうと予定のモロミにするためには3〜4日かかることも有り、大吟醸などは取り戻せなくなることが有ります。その結果その年の新酒の鑑評会の入賞をあきらめざるをえないこととなってしまいます。オカリナ造りも0.1ミリ削ってしまったり削り足らなかったために音が出なくなったり音色が悪くなったり、毎日が思考錯誤の連続です。

 酒造りは長い歴史の間、先人達の試行錯誤の創意工夫によって確立されましたが、今はコンピュータ化が進み大きな酒造会社ほど人の手のはいる工程が非常に少なくなって来ております。それと同時に酒造りの労働者も労働環境も様変わりしています。幸いなことに私が酒造りに関わり始めた30年前はまだ小さい造り酒屋では機械化が進まずほとんどの工程が人の手で行われており、杜氏(とうじ)を頂点とした酒造りの組織がしっかり在り、杜氏が酒造りの主導権を握っておりました。杜氏は自分を補佐する頭(かしら)と、それぞれの担当の係りとして麹係り、酒母(しゅぼ)係り、モロミ係り、船頭(せんどう)「モロミを絞るための槽が船の形に似ておりそれを操作する人を船の船頭と掛けてそう呼んでおりました」等の蔵人を杜氏が引き連れて来て、杜氏の指示のもと夫々の仕事をこなしていました。私は6年間杜氏たちと一緒に酒造りをし、それ以後は外から杜氏たちの酒造りを応援してきました。ちなみに杜氏は新潟県の越後杜氏で蔵人も越後の人でした。

 ある意味では杜氏は今のハローワークのようなもので杜氏から声がかからなければ蔵人はその冬は失業してしまい、他の出稼ぎ先を探さなければならずこれも大変です。杜氏も蔵人が他の蔵に引き抜かれては大変ですから気配りをしていたようです。

 蔵の仕事は大変ですが誰でも出来る仕事ではなく蔵人は特殊技能の持ち主ですから他の仕事の出稼ぎ者よりは幾分給料が高かったようです。また昔の酒屋の主人は酒造りには直接携わらず杜氏に一任していたようで、杜氏もその期待に応えようと酒造りに没頭していたようです。それ程杜氏には大きな責任と権限があったのです。 

 今は蔵人の高齢化と酒蔵の弱体化に伴い非常に少なくなった杜氏を中心とした酒つくりとその蔵人と一緒に仕事が出来たことが、今現在の私のオカリナ造りの原点にあるものと思っております。

 藤田氏のオカリナ紹介サイト(販売もあります):
   http://www18.ocn.ne.jp/~tougo/

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