2005年(平成17年)11月20日号

No.306

銀座一丁目新聞

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追悼録(221)

「ドラッカーが残したもの」

  経営学者、ピーター・F・ドラッカーが亡くなった(11月11日・享年95歳)。手元にその名著「断絶の時代」ー来るべき知識社会の構想がある。訳者は林雄二郎さん。発行元はダイヤモンド社である。初版発行昭和44年3月6日・33版発行同年6月20日。値段は1800円である。僅か3カ月で33版を重ねたところを見ると、この本がいかに爆発的に売れたか判る。当時、社会部デスクであった。熱心読んだようである。いたるところに傍線が引いてある。「世界の近代史上、日本が明治維新と過去20年間になし遂げた激しい転換ほど偉大で、意義深い非連続はかってなかった」という指摘は新鮮であった。「明日はどうなっているだろうか」と問うものでなく「明日を作るために今日といかにとり組まねばならないかを問うものである」という著者の言葉は私に「今何をなすべきか」を教えた。
 「この木を越えて/根から頂上へ/アイデアはの昇リ/拒絶の超え下る」ロンドンのユニレバー社の掲示板の組織図にピンで留められてあった詩である。いいアイデアは恐らくいつでも「非現実的」といって拒否されるという。いいアイデアは常に少数意見である。だから私は良いアイデアは会議にかけなかった。
 政治について書かれている。「政治の目的は基本的な決定を下し、それを効果的に行なうことである。政府の目的は社会の政治的エネルギーを集中することである。論点を劇的にすることである。基本的な選択を提示することである。換言すれば、政治の目的は統御することである」。先の総選挙の圧勝は小泉首相の郵政改革解散断行によるもので、このドラッカー理論にぴたりと合う。指揮者についても言及している。「指揮者自身は楽器を演奏することはない。彼は楽器の演奏法を知らなくてもいい.彼の仕事は、一つ一つの楽器の能力を知り、それから最適の演奏を引き出すことである。演奏家であるかわりに彼は指揮者になる。実行するかわりに先導する」。小泉首相のやり方を直ぐ「丸投げ」と新聞は批判するが、そうする方が上手くいくからである。首相は指揮者と何等変わることはない。そうでなければ小泉政権が3年以上も続くわけがない。
 本書で「資質の劣る知識労働者二人は第一級の知識労働者の二倍の業績を上げる事が出来ない」という。今の事態はもっと深刻である。私の経験では組織の中で仕事のできる者、新聞記者でいえば、「とり難い記事を取ってくる」記者はその組織の1割弱である。昔はどうしても新聞記者になりたくて何度も受験してきた者がいたが、昨今は新聞社も受ければ銀行、証券会社など何処でも受けるものがいる。だから放火して逮捕されるNHK記者も出る。もともと記者として向いていないのである。テレビで頭を下げるNHK会長が可哀相である。「断絶の時代」には胸に響く良い事が一杯書いてある。暇を見つけて520ページのこの本をもう一度読み返し読まなければならない。

(柳 路夫)

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