2005年(平成17年)11月20日号

No.306

銀座一丁目新聞

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自省抄(47)

池上三重子

   10月17日(旧暦9月15日)月曜日

 母上よ!
 旧暦八月十五日が菱名月、後の月十三夜が豆名月でしたね。田の畦際に蒔くので「畦豆」とよんだ大豆は、
現代流には「枝豆」の呼称のようですよ。
 豆名月の夕べ。葉っぱと根っこを除いて枝生りのまま大釜で茹であげて塩をちょっちょっと振りかけ、菱名
月のときのように南の庭に立てた木の臼に赤塗り波型文様のお膳にのせて「名月つぁん」に上げられましたね

 釜屋横、往還沿いの竹結いの垣も菱名月の夕べ同様、人ひとり通れるくらい開けておくのは、お好きな人は
どうぞご自由にお上がりください、の意。母方の祖父善三ゆずりの善意にもとずく母の意志か、村の風習だっ
たのか。
 豆名月の夕べは嬉しかった。名月つぁんのお相伴役、家族揃って男衆さんも一緒に頂いた。茎の一本を両手
に持ちながら、一莢ひとさやを口に含むや歯が当たれば、莢は割れて豆が舌に飛び載る。菱同様に豆食みも、
兄と男衆は競うように素早かった。
 男衆の江崎茂さんことシゲしゃんは去年も元気に、付き人つきで来室してくださった。ツヤノ姉と同年か一
つ年上だから、八十七歳のはず。ありがたいことよ。
 シゲしゃんは真面目で律義な青年だった。私が女学校時代に授業で書いた慰問文を覚えておられたが、宛先
は満州国黒龍江省牡丹江ではなかったろうか。
 母上よ、あなたが「何でん無かが一番(いっち)良か」と仰言りながら伝統行事をしきたり通りやってくだ
さったお陰で季節と行事が伴って記憶され、こうして豊かな思いを反芻できるのです。砂漠型、荒野型人間に
ならずにいられるのですよ、ありがとうお母さん。
 王敏さんの愛嬌ある笑顔の写真付きで、朝日新聞に記事。重慶の事ですのでゆっくり読もうと手元において
います。
 黄瀛(こうえい)大人を知ったのも、法政大学教授のこの先生のお陰。日本を母の国として愛した詩人黄瀛
を知る人少なの日本人。「おしゃべりの目立ちたがりや」という言葉の裏に誠意を感じる私には天衣無縫の最
上の友、大人の親しい友人・金窪さん田上さんたちと同じなのですよ。
 詩人の魂美しい大人は高村光太郎を尊敬し慕い、毎日のようにアトリエに遊びに行っては仕事を瞻り、遂に
は光太郎の彫刻「黄瀛の首」に結集。その作品は土門拳の写真となって大人の終生愛存の一品となったという

 彫刻は関東大震災で消失したが写真は大人のもとに健在、四川学院で日本語研究の教授となった大人の部屋
に飾られていた由、佐藤竜一著『黄瀛』に記されている。
  黄瀛の御墓偲へばコスモスの
  花の繚乱 光る芒穂
 先般こんな歌をささげたが、念波あらば重慶の奥津城にとどくかも知れない。み墓辺に秋の千草が彩ってい
ようか。心は翔んで私はみ墓に額ずく……
 今夜は後の月九月の満月、皓々たる月光の下の泉下か大人は。

 妙子先生は月半ばすぎ故ご退院か、リハビリに移っていられようか。
 もう自転車、電車、バスと乗りついでのお訪ねは期待できぬ。お心の安泰と脚元のご用心を祈りつづけよう

 妙子先生には長い歳月ずい分お世話かけたものだ。山田眼科入院のときも、母重症の付き添い看護を拝受し
たときも……ご恩受けっ放しだが、この信頼感、安心感は私の宝物なのだ。愚痴っぽいのは大嫌いなのに、昨
今は腰痛のやりばなさに心中憂々悶々の悶ちゃんの私、こんな日こんな時に、もし妙子先輩がいらして「あ痛
あ痛の痛々、痛っですよっ」と大声出せたら、さぞスカッとするだろう、なんて思いめぐらしたりする。
 いやいや、妙子先生の受難はもっともっときつい、お辛かろう。アイタイ、とお書きの心身を思うと辛い。
先生はもっともっとお辛いのだ。がんばって先輩!
 妙子先生のおハガキに絶句、不意の涙おぼえたのは先月の末、凡そ高木病院に入院中とは想像だにしなかっ
た。妙子先生は脳梗塞だったのだ。文字も文章の乱れも発症前の先生を思えば涙が滲むけれど、そうした中で
もちゃんと要を得た内容を知らせてくださった先生の自己観察はさすがと敬服する。そして最後尾に連なる「
アイタイ」という片仮名の四文字……嬉しかった。
 冷静そのものの先輩だった。引っ込みの内向性の慎重型。生き返った、誕生したとおっしゃる生の喜び、蘇
生の息吹を目の当たりにするような清新さは、率直な生の、生命の歓喜の声よ。
 意識不明の時間があったのだ、きっと。時間単位か日数単位か判らないが、お出で頂かなかった日数いっぱ
いペンが執れず、執る気が起きなかったのは事実のはず。文字や文脈の乱れもやがて元に戻られる、考え方も
生き方もこれからは積極的になられるのではなかろうか。蘇生の新しい息吹をもって、先輩らしい端麗のすが
たですごしてほしい! 母の齢を越してほしい。先輩として従姉として、私を先導してほしい。
 妙子先生の身の異変以来、私もおかしくなっていたが、それは共時性だったのだ。
 ああ、私もお会いしたい。母上よ! 妙子先生の新生です。誕生です。「生まれ出たのです」と喜悦著しい
言葉をつづったおハガキをくださったのです。また先生に会える日を思うと、嬉しくてありがたくてなりませ
ん。
  出任せに書きつづるなる自省抄
  これも賜物よ天と地と生の
 わが来しあとを顧みればあっち行きこっちゆきの歳月のあと、ようよう終の栖・永寿園におちついて六年、
間もなく七年目に入ります。全介護を受ける身は拝受のかずかず、ご縁としかいいようがありません。
  湯浴み終え手足の爪も結ふ髪も
  なべて人の手ああ忝けな
 母上よ!
 今夜のラジオはナイターで駄目。詩歌の知る限りの暗誦やら、ご恩恵頂きの方々への謝念やらですごしまし
ょう。



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