2005年(平成17年)10月10日号

No.302

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
自省抄
北海道物語
お耳を拝借
山と私
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

自省抄(43)

池上三重子

   9月7日(旧暦8月4日)水曜日 雨・風

 諌早湾上陸の台風十四号は暴れにあばれて日本海を北上中という。二百十日、二百二十日は日本の災悪の日として、ものごころつく頃から沁みついている。
 石橋を叩いて、なおたたいて渡るような神経のかぼそい父だった。「さて大風襲来」と表に出て雲行きを窺い、危いと見ればさあ大変、商家造りの帳場の東側のガラス窓は頑丈な棧で守られた。その東側は半間半ほどの漆喰張りの土間 、更にその東が格子戸をへだてた道路である。
 にもかかわらず、父は帳場の格子戸に古茣蓙を畳針とイチビの茎の細く裂いたもので、ところどころ入念に機に結びつけてゆく。結び糸なるイチビをぐるり一巡させて、ふたたび外へ突き戻すのだが、その内側の役目を受け持たされる時々刻々は退屈で苦痛そのものだった。
 大風が予想を裏切れば骨折り損のくたびれ儲け。私は父の入念な「きぬしゃ」ぶりを憎み恨み軽蔑した。もちろん言葉に代わる仏頂面をもって。
 そんな父の畑作物は労作てきめんの豊かさで美しかった。茄子、胡瓜、瓜、菓子瓜、唐黍などなどに水芋田の水芋。水芋は背の高い母をすっぽり隠してしまうほどの見事さで、頭上の葉っぱは照る日の笠になった。
 手伝い嫌いで食べるの大好きにんげん私は、言いつけられてする仕事はすべて厭、バケツ両手に何遍となく往復しての水やりも進んですれば欣々事だったのに。つくづく不孝者の標本だったと実感する。

 先夕拝受した足立威宏先生からの見事な梨、今年も賞味させていただく。かたちも表情も味も充分、ありがたいことよ。母には、みなさんに披露の分を呈するとき丸テーブルにお供えした。
 母上よ、あなたは梨が大好きでしたね。
 在りまさば、と思う。切ないまでのこの気持ちよ。昔々、田舎の八百屋さんに果物は置いてなかった。豆腐を作っていたから豆腐におから、乾物もろもろがあったわ、あったわの品揃えだった。
 その八百屋で求めたのだろう、わが家にも丸麸が釜屋入口の戸際、板の間とよぶ台所にぶらさがっていた。私は飢じくなると一つはずし、二つはずしして、黒砂糖を包みこんで食べたものだ。おいしいとは思わなかったなあ。いつも常備のお八つは煎り蚕豆か、あられ。砂糖まぶしの煎り米のまるめたものも。これは嬉しかった。
 すべては母の手を経ていた。「こうばし」とよぶ「はったいこ」もそれ。柴垣の柴の葉先を、ちょいっと千切って匙にする。匙など当時、わが村のどこの家にもなかったのではあるまい か。今に憶えば風雅にみちていた、あのお八つ、このお八つよ。
 だが、母の口が男衆や家族そろって食べるとき以外、時ならぬ時に動いていたことはなかったなあ。父の常備薬「星胃散」の赤い蓋付きの空缶に入っている煎豆も、あられも、こうばしも、母の口に入ることはなかったなあ。口潔い人だったなあ。
 そうそう、同じ村に住む小母さんが背の子、連れの子と一緒に口をもぐもぐさせながら買物から帰ってくるのに出会ったことがあった。
 私は羨ましそうな顔をしていたに相違ない。
 小母さんにこにこ。
 私もにこにこ。
 子供は食べるに一生懸命、脇見なし。懐かしい光景よ。

 そうだった、今日は兄の命日。六十年前、赤紙・召集令状が実業人の兄を国民補充兵に一変させた。行先き知らされぬままの船団の旅の果て、サンダカンの守備が任務。浜の暗い闇のなかで戦友と食談義が弾む。生還の日あらば、鰻の蒲焼きと茹でた菱の実を、と。 父母も、兄も姉も嫂も今は亡き人……。
 早や夕餉の時刻、松尾ウラ媼の献立放送がおわった。
 母上よ、今日もまた佳き賜りの一日でした。
 では夢見にお待ちします。

  9月13日(旧暦8月10日)火曜日 快晴

 隆昭夫妻来室。
 この残暑きびしい最中にありがたいことよ。例によってニューメン熱々と茄子の油炒めとオクラの胡麻和え、おいしいおいしいと賞味。かけ値なく千鶴さんのお惣菜はおいしい。こんなお嫁さんを貰って隆ちゃんも倖せよ。
 母上よ!
 あなたの夢は今暁も目覚めと共に、スーっと傍から着膨れの姿でお消えでした。お母さんありがとう。霊の存在を私は信じないけれど、夢見においで下さいと祈るのですよ。祈りが叶うとありがたい。逝かれて十八年目なのに私は母離れできず、不孝を詫びながら恕しを乞いながら感謝をささげています。
 そうそう、隆昭夫妻は岡山の麻美のお姑さんから届いた名産のマスカツト・モモタロウも、お福分けに持参してくれました。肉親のありがたさを味わうことのできたひとときでした。心が和やかに、やわやわと優しくなっているのがわかります。
 私は有情無情の変わり激しいたちのようですから、直ぐささくれ立ちましてね。手ぬるく不器用な介護にあうと、気長く馴れるのを待とうと気持ちを鎮めたり、陰ひなたが見えたりすると何とか性格を直してもらいたいと考えたり……佳き日の賜りと思ったり、千々の秋草となったり、われながら持て余すのですよ。ごめんなさいね、お母さん。
 今日は本当に嬉しい天恵拝受となりました。
 見事な敬老の日の贈物は例年のとおり胡蝶欄の一鉢。今年は蘇芳色で、渋くおとなしいリボンが付いています。「敬老ちゅう言葉は好かんめ?」と隆昭、「なんの、なんの!」と私。
 こんな一日でした。



このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。(そのさい発行日記述をお忘れなく)
www@hb-arts.co.jp