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福沢諭吉が泣いている
佐々木 叶
“貧しき財布”の中味は知っていても、一万円札を、しげしげと眺めたことはない。記号番号も紋様も関係なく、さっと取り出し、さっと払う。福沢諭吉の顔がチラッと視線を横切るだけで、一万円札を疑うものはない。 その一万円札の信用がグラついている。ニセ一万円札の横行である。この四月、福岡、大阪、東京で六十枚近くもニセ一万円札が見つかった。近年、お金を神様と崇めがちな日本人にとって、ことは“金銭信仰”にかかわる重大事だが、犯人はさっぱり挙らない。 92年の「和D−25号」から始まったニセ一万円札攻勢は年々拡大し、ここでも「主権」が侵されている。国内の偽金作りは、明治十年の大阪ニセ札事件が皮切りとか。戦前は五十銭銀貨と十円札、戦後は十円札と百円札。昭和二十五年に千円札が発行されると、ニセ札の主力は千円札になった。手口は「日本銀行の銀の文字の下に、線が二本(真券)か一本(ニセ札)か」といった印刷機を使った単純なものが多かった。戦後、大阪で捕まった犯人も、戦争で息子を失った印刷職人だった。「泣き虫記者」という本のなかで、朝日新聞の入江徳郎記者は「ニセ札の記号番号は、234797か797423の二通りだった」と書いている。語呂は「ニイサンヨナクナ」、「ナクナニイサン」。ニセ札を作りながら犯人は、戦死の倅(せがれ)に詫びていたのだ。 通貨偽造は重罪である。刑法一四八条では「無期または三年以上の懲役」。警察も伝統的にニセ札を「贋幣(がんぺい)」事件と呼んで重視する。昭和三十年代の「チ−37号」のニセ千円札事件では、全国に大捜査網を敷き、銀行協会は百万円の報賞金を用意したが空振りに終わった。 さて、ここに韓国のウォン銅貨も参入し、日本の通貨は荒され通しだ。犯人はアジア系外国人の疑いが強いが、仕掛人は捕まっていない。これでは警察もナメられてしまう。「何とも情けない国」と、福沢諭吉翁も泣くであろう。
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