2005年(平成17年)8月10日号

No.296

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追悼録(211)

「杉浦日向子さんを偲ぶ」

 江戸風俗研究家、杉浦日向子さんがなくなった(7月22日・享年46歳)。江戸の話をさせたらこの人の右に出る人はそう多くはない。NHK綜合テレビ「コメディーお江戸でござる」でお芝居が終わってから出てくる杉浦さんの江戸の話をお芝居以上に楽しんだ。昨年4月から杉浦さんがでなくなってからこの番組を見なくなった。
 江戸に興味を持ったのは平成3年12月ごろで、現在、江戸子守唄協会を主宰している西舘好子さんが「江戸って面白いわよ。勉強してみては・・・」と教えてくれたからである。手始めに石井良助著「新編江戸時代漫筆」(上)(平成3年1月10日第8刷・朝日選書)「同」(下)(平成2年1月10日第6刷)を購入して読んだ。確かに面白い。質屋のシンボルに将棋の駒を使ったのは「金になる」からである。当時質流れ期限は8ヶ月であった。「八月目に流れて女房悔やむ也」「殺されたやつ八月目に化けて出る」という川柳が生まれたという。手元にあった南条範夫編「考証 江戸事典」(人物往来社発行・昭和39年3月20日初版発行)を見る。「側室の名前」の項には「大奥なり諸侯の奥の間では奥女中の身分に従って名前が変わるのが常識である。4代将軍家綱を生んだ家光の側室宝樹院は最初奉公に上がった時には紫といい、中揩ノなって於蘭と改め家綱を生んでから於蘭之方と呼ばれた」とある。磯田道史著「武士の家計簿」(新潮新書・平成15年5月20日5刷)に武家のお産の時に妊婦に力をつけさせるために「三盆白砂糖一袋 一匁」をなめさせたと記してある。
 杉浦さんの江戸学に就いては本紙茶説で「江戸学は21世紀のバイブルなり」で取り上げた(2000年10月20日号)。270年前からあるお宮さんの祠で、天井裏からたくさんの春画が見つかった。何故、天井裏にと疑問を呈する学者に杉浦さんは「火事除けのおまじないですよ」とこともなげに答えた。何故って、「見ていると濡れるからです」。テレビで杉浦さんの解説を聞いていると、ほんわかと心温かくなる。なるほど名前を日向子(ひなこ)という。それにしても46歳の死は惜しみて余りある。

(柳 路夫)

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