北海道物語
(13)
「フィトンチッド?」
−宮崎 徹−
旭川駅からバスで十分、降りてから五分程のところに、十五ヘクタールの「外国植樹見本林」がある。市民は「見本林」と呼んでいて、三浦綾子さんの名前が全国に知られるようになった朝日新聞社の懸賞小説「氷点」の舞台である。
この見本林は明治三十一年、ストローブマツ・ヨーロッパアカマツ・ヨーロッパカラマツ・ヨーロッパトウヒの苗木を初めて此の土地に植栽してから百余年の歴史を持ち、北海道の最古の外国種樹の人工植栽地の一つである。
この樹木には、旭川で育成が可能な三十数種の外国種樹のほか、北海道にはなかったモミ・カラマツなども植えられ、北海道原産のアカエゾマツ・トドマツなどを含めて五十数種が見事に茂っている。後ろを流れる美瑛川の堤の上から俯瞰しても、樹下を歩いて仰ぎ見ても、外国種樹の適應振りが北のオホーツクブルーの空に映えて見応えがある。青空の下に美しく見える。
『空をかきまわすように揺れているストローブ松の梢や、林の中に煙るような光など、私は幾度「氷点」の中に、この見本林の美しさを使わせて頂いたことだろう』三浦綾子さんの文章である。三浦さんのご主人光世さんは營林局に勤務していて、結婚前から胸の悪い綾子さんを励ましながら人生を歩まれた。二人で見本林を歩いていたとき、明治三十一年米国産の苗木を植栽したストローブ松が梢の枝と緑の葉をゆるがせながら、天井の雲と青空とを、その間から見せたのであらう。寒さに負けぬ針葉樹の生命の營みを教えながら、光世さんは奥さんを励ましただろうと、長くこの二人を知っている私は思っている。
この見本林は昭和四十五年に自然休養林に決定された。見本林の中には、旭川市と米国イリノイ州のブルーミントン、ノーマル市とが姉妹都市となった二十周年を記念した記念の森が設けられたり、日中国交回復の時や国際森林年などに植栽された樹種もあって、森も国際化の色を濃くしている。また「三浦綾子記念文学館」も見本林の入り口を入ると直ぐの場所にあって、訪れる人も年々増して居る。
本州の人達は北原白秋の詩のカラマツから、針葉樹は冬に葉を落とすものが多いと思い勝ちだが、トドマツ・エゾマツは常緑針葉樹である。落葉針葉樹は乾燥に強いので中国東北部やシベリアに多く、本州では八ヶ岳とか富士山とか溶岩地域に多い。この
園内には、そういう寒冷地落葉針葉樹もある。
しかし、植物学者や文学者でなくても、ひとたび見本林のコースを歩いて、北方の針葉樹林の香気に浸ると、疲れた心が癒され、爽やかさが体を洗う感じがする。旭川程度の規模の街でも、生活をしていれば、人間関係の煩わしさがあり、騒音の中で身体も疲れる。森林浴というべき森の空気・香気を浴びて時間を忘れ、神経を休めることができるのは、私達の遺伝子が本家帰りをしているようだ。
森林浴が親しまれ始めた頃、フィトンチッドという言葉を耳にするようになった。八十年前に旧ソ連の学者が付けた名前で、現在では「植物が生む揮発性及び非揮発性物質で他の生物に影響を与えるもの」という意味となった。見本林の中は常緑針葉樹の木の幹と枝葉の放つ揮発性の香り物質・フィトンチッドのすがすがしさに満ちていて人を生き返らせる。時にアカゲラがコツコツと樹をたゝく音が聞こえる。
昨年から北海道庁は定年になる団塊の世代に北海道に移住してもらう企画を立てている。インターネットで移住に関する意識や対応についての意見を調査し、道内で誘致に熱心な十四の市町をパートナーに選定したという。例えば旭川からは大雪山の向こう側の人口五千五百人の上士幌町は、「スギ花粉がないこと」を魅力として、イムノリゾート(免疫避暑地)プロジェクトを立ち上げた。函館は異国情緒、室蘭は定年後の技術者の仕事の斡旋、旭川も此の流れに遅れまじと移住下見をテーマにしているツアーを来月行うということである。
上士幌のアプローチを聞いた時は、見本林を訪れた或る家族がアトピーに苦しむ子供のために周辺に家を建て、森林浴で治したという話を連想した。スギやヒノキは木材としての価値が高いので、本州の造林はその比率が高く、スギは本州が北限なので北海道ではスギ花粉症の被害を受けなかったのは幸いである。アトピー・ぜんそくが近年多いのは、車の排気ガスの影響、家ダニの繁殖過多の影響と云われる。樹の力で減少させることが出来そうだ。北海道は一市一町によらず、広域にわたって各層の声を集めてもっと大きなキャンペーンをするべきだろう。
なお旭川・富良野地区のためには、旭川の見本林、フィトンチッドを含め、これまで多くの研究が市民生活の問題に大きく関連しているようだから、その役割を拡げていただきたいものだ。
そして、蛇足ながら、当地区の今後の移住ポイントの一つには、何十年来地震が無く、将来での見込みも極めて少ない予測である点にもある。これは全北海道には通用しないけれども。 |