2005年(平成17年)6月1日号

No.289

銀座一丁目新聞

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安全地帯(111)

信濃 太郎

 頑張れ 前野徹さん

 アジア経済人懇話会会長、前野徹さんの快気祝いと激励会に出席した(5月24日・フォーシーズンズホテル椿山荘)。この春大病を患い入院、一時は生命の危険があったと伝えられた前野さんが元気に回復したのを機に、親交にある中曽根康弘元総理、石原慎太郎東京都知事、亀井静香元自民党政調会長らが発起人となって開いた。私は前野さんが東急エージェンシーの社長時代、事業面でいろいろお世話になった。最近は著作を通じて日本の危機を訴え続けている。
 中曽根さんは「昭和30年代からの付き合いで、縁を結び、縁を尊び、縁に従ってこれまできました。前野さんは幕末の坂本龍馬みたいな国士。日本にとってはなくてならない人物である」と挨拶した。石原都知事も「前野さんは常に国のことを考えおり、日本の行く末を心配している。徳川幕府の柳生石舟斎のような人物である。日頃はせっかちな人で、よくどもるが国のことを語るときは不思議と口がまわる」とユーモラスに語った。
 お礼の挨拶にたった前野さんは「日本はいまだにアメリカの占領下におかれている状態である。何でもアメリカの言うことを聞いている。だから近隣諸国から侮りを受ける。このままでは中国にのみ込まれる恐れもある。先に(5月20日)石原都知事が沖ノ鳥島を視察した意義は大きい。この島が日本の領土であると示すとともに日本が今後海洋国家として生きることも示している」と発言、さらに、今回私の命を救ってくれたのは阿部博幸さん(九段クリニック理事長)と浅村尚生さん(国立がんセンター医長)であると紹介した。阿部さんの話によると肺ガンと診断されながら前野さんが入院先を東大病院か慶応病院にしてほしいと見栄を張るので、病気を治すためには名医のいる浅村さんのがんセンターに入りなさいと強く進めたという。
 花束贈呈はレスリングのメダリスト浜口京子さん。前野さんに「気合いだ」を10回唱え、励ました。乾杯の音頭は亀井さん。参加者は180人を数えた。最後に全員で「若者たち」の歌―「君の行く道は果てしなく遠い・・・」を合唱した。

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