花ある風景(203)
並木 徹
義民佐倉惣五郎伝
前進座の「佐倉義民伝」―門訴から子別れまで―(二幕三場)を見る(5月14日・国立劇場)。第一幕は江戸の掘田家下屋敷の門前。公津村名主、木内宗五郎(嵐圭史)らが村人ともに割り増しされた年貢の赦免の嘆願をする。国もとの役人では埒があかず、幕閣の老中職にあって江戸表にいる藩主、掘田上野介正信にじきじきに訴えるためであった。時代は4代将軍家綱の承応年間(1652−55)。このころ、玉川上水が完成している(承応3年)。下総国佐倉領289ヵ村は数年続きの凶作にかかわらず、年貢の割り増しが伝えられた。
ひたすらお願いし頭を下げる宗五郎らに江戸家老、岩淵典蔵(山崎竜之介)は「お年貢の上納は天下の大法」「強訴は重罪」とはねつける。宗五郎はいきりたつ村人達を国表へ帰す。昔と今もそう変わらない。生活改善を求めて立ち上がった住民に対してウズベキスタン東部アンディジャンでは政府軍が発砲、多数の死者を出す(5月13日)。
宗五郎は将軍への直訴しかないと考える。直訴は天下のご法度、死罪は免れない。そこで妻子に人目会ってと国許へ。
第二幕、佐倉在印旛沼のほとり、渡し守の甚兵衛(藤川矢之輔)の小屋。ここの渡し舟は暮れ六つを限りに役人が鎖をつけ、錠をかけてしまう。村人の他国への逃亡を防ぐ為である。ウズベキスタンでも住民が弾圧を恐れてキルギス国境へ難民となって逃れている。甚兵衛から村の聞しに勝る村の難渋を知って宗五郎は女房おさん(瀬川菊之丞)への手紙を甚兵衛に預けて立ち去ろうとする。宗五郎の覚悟を悟った甚兵衛は役人の手先のならず者、まぼろしの長吉(武井茂)をナタで倒して鎖を断ち切って宗五郎を船に乗せる。おさん、長男彦七(徳永優樹)、次男徳松(大倉海音)の姿を見て安心する。三人目の子供は生まれたばかりで屏風のかげで眠っている。宗五郎はおさんに直訴の企てを話して離縁状を渡す。おさんは「親子は一世、夫婦は二世の契り」と拒む。宗五郎は離縁状を引き裂いて囲炉裏にくべる。そこへ村人達が船を出した事が役人に知れ、甚兵衛は印旛沼に身を投げたと知らせに来る。追手が迫ったことを知らせる合図の早鐘がなる。取りすがる子供を振り払い降りしきる雪の中を宗五郎は江戸へ…ここが泣かせ場所。彦七が振り払われても振り払われても父にすがりつく。圧政、無情、親子の絆・・・全てを消し去るかのように雪が降るり続く。ここで幕が降りる。
江戸に出た宗五郎は将軍家綱に直訴、その願いはかな得られる。妻子ともども磔の刑に処せられる。時に承応2年(1653年)のことだという。 |