2005年(平成17年)3月10日号

No.281

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茶説

放射性廃棄物処分に哲学者参加す



牧念人 悠々

 「視野を広く、世界へ目を注げ」は新聞記者が新聞を読む際にも、企画を立てるにも心がけるべき原則のひとつである。世界では今何が起きているのか知っておくのは記者として当然である。私がスポニチの社長時代、毎年のように100人以上の記者たちを世界中に特派して取材させた。それぞれに勉強になったと思う。それまではスポニチは年に10人足らずの者が海外へ特派されたに過ぎない。
毎日新聞のコラム「発信箱」に面白い記事があった(3月6日・青野由利さん・論説室)。それによれば。フランスでは今、原発から出る放射性廃棄物の処分方法について検討している。「深地層処分が想定する10万年先の安全を人の脳は予見できるか」という問題で哲学者が呼ばれたというのである。日本ではこのような場合、哲学者を呼んで話を聞こうという発想はない。その発想に感心する。さすが「文化の国」フランスという気もする。
福田定良さんの遺稿集「堅気の哲学」(藍書房)を読んでから哲学が身近に感じられてきたのでこの記事には関心を持つ。福田さんの本は一度読んだだけでは理解できなかった。再読をしている。暇を見つけてわかるまで読むつもりである。ともかく物事をよく「考えろ」ということらしい。堅気の視点で自分の言葉で発言しろというのもわかった。すると、これまで見えなかったものが見え、見逃していた事がわかってきた。「事物を究む」とはこんな事かと実感もできた。
日本の原発の事情は青野論説委員が指摘するように「点検漏れ」など初歩的なミスなので「哲学以前」である。小学生を相手に修身を説き「基本的技術」を守れと教える段階であるのは何とも情けない。それでも「哲学」は必要である。とりわけ「堅気の哲学」はもっと必要である。

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