昭和20年代後半毎日新聞社会部に村嶋健一君がいた。若かったが名文書きであった。夕刊の写真説明を書かしたら10分足らずで原稿を書き上げた。当時のデスクは重宝したと思う。うかつであった。彼の父親が毎日新聞の名物記者、村嶋帰之さんであったとは全く知らなかった。村嶋さんは毎日新聞の初代労働記者で「ドンちゃん」の愛称で呼ばれていた。入社2年目の25歳の時、大正6年2月20日から3月20日まで24回にわたり大阪毎日朝刊に「ドン底生活」を連載、大阪を中心にスラム街の実情を紹介したからである。このレポートには特色があった。統計を駆使して客観的に説明して当事者の談話をそのまま伝えたのである。その書き出しも「水の都の空も低く30万の甍の上に聳ゆる煙突2680本、左して大きからぬその孔口空11億9千斤の石炭が煙となってゆく・・・」(毎日新聞百年史)といった調子であった。
現在、生活保護受給世帯は100万7000世帯(昨年11月)。生活保護基準額(33歳夫、29歳妻、4歳の子供)は16万2170円である。贅沢しない限り生きてゆける金額である。88年前に「ドン底生活」のレポートを書いた村嶋記者が今生きていれば何をテーマとするであろうか。「アフリカ現代版どん底生活」であろうか。
さらに村嶋記者の功績がある。造船所の怠業(サボタージュ)を伝えた特種が労働運動に影響を与えたことに驚く。「サボタージュ」は村嶋記者の訳語で、これ以後怠業の訳語として使われてゆく。さらに「サボタージュ」戦術は村嶋記者の欧米先進国の労働運動の講演がヒントとなって生まれたものであった。
村嶋記者は自由党代議士滝口帰一の三男で母方の姓をつぎ大正4年大毎に入社。昭和12年病気退社した。賀川豊彦と茅ヶ崎市に私立平和学園を設立、教育に尽力し昭和40年73歳でこの世をさった。
(柳 路夫) |