2005年(平成17年)3月10日号

No.281

銀座一丁目新聞

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自省抄(23)

池上三重子

  2月4日(旧暦12月26日)金曜日 曇りのち晴れ

 立春!
 春立つ日、とくちずさみたくなるこころ動きの初々しさは、華やぎである。八十一歳、この華やかに瑞々しい心象が年輪とそぐわぬように思われる気もするが、いやいや、九十であろうと百歳越えようと、母を偲べば老若にかかわりなく、人間に与えられている自然的ないのちのいとなみであろう。
 この季節、節分から立春へ、そして旧正月の杳い思い出は、やはり父あり母あり兄あり姉ありの懐かしさ、あたたかさ……そのぬくもりの中に、ぬくぬくと生い立って来たのか。 節分の、とおいその日。父は釜屋のふくどで豆殻を焚き、ボッポの枝持つ木を焚き、古い火起こし(火吹竹)を燃し、新しい火起こし竹で酸素を送った。頬をふくらませて火勢を強める父の腰は藁腰掛けに据えて。
 ボッボッとボッポの木の燃える音、古火吹竹の撥じける音が耳奥に甦る。
それから、豆を撒く「福は内ーい、鬼はー外」と声はり上げる父の声。豆を拾いながら食べ食べする童女・私の他に特別なことは何もなくて食事もふだん通りながら、わらべ心は弾みきっていた。
 今年は2月9日が旧暦の1月1日だが、旧暦がふつうだった筑後地方に生まれ育った私に、その日は、なつかしさただならぬ元日であった。
 表大戸は十時頃にあけ、直会(のおれ)とよんだお神酒を頂くまでは大戸の左隅に付いている小戸から、屈りながら出入りした。遠くから見ると、瓦屋根がどっしりした構えに映った商家造りのあの家の記憶は、兄夫婦もツヤノ姉もない今、私と博美、隆昭、江崎茂さんのみ、それに、ご縁のあった人々のみに残るか。 
 母は正月三日間、包丁を扱わない風習のたてまえに従い、前日は大忙し。歳の晩、と称する大晦日のご馳走(?)作りである。釜屋の東隅にすえた「ガラくど」に、ガラの炎赤々と煮炊きにつかった。
 万事か質素倹約のわが家だが、入り口近くには筵一枚かけて、その裏側に大魚(おおいお)と称する鮭か、鮮か赤身の大魚を笹をくわえさせて吊るし、おひろ椀には「しび魚」の乾燥物を九種(ここなくさ)・七種(ななくさ)の一つとした。蓮根、人参、牛蒡、里芋、蒟蒻、竹輪、大根、焼豆腐、と、しびの九種が大晦日に、正月は七種だったようにも九種だったようにも、おぼろとなった。
 雑煮は、こんぶとするめが副うた。私は雑煮は好まなかったが、縁起ものとかで一個。御前(ごんぜん)と居間六畳の台所境におかれた長火鉢で焼かれる餅の、ぷーうと膨れ上がったところに黒砂糖の塊を包みこんで「熱っ熱っ」とふうふう吹いて食べた美味しさは忘れがたい。
 醤油や砂糖醤油、白砂糖に黒砂糖と好みごのみだが、「三石取りでも味噌菜(みそぜ)はするな」と古諺を口にする母は、味噌は用意しなかった。子供から大人への時代の変遷は摂るものの変遷でもあり、記憶も併行していったろうか。
 ……母の明るさ朗らかさ……なつかしい日常茶飯の生活態度だったなあ。茣蓙屋稼業は忙しく、夜なべに茣蓙の両耳にニカワ付けの作業は、布縁を縫いつけるための前準備だったろうか。ハマ代嫂やツヤノ姉の仕事、兄や茂しゃんは蔵夜なべだったろうか。
 茣蓙屋は忙しかのうお母さん……わたしゃ茣蓙屋は好かーん、と私が言ったとき、「こりが家のしごつ(仕事)、忙しかけん良か」と、手は目は扱う茣蓙から離す瞬刻もない姿であった。
 母の眉間に縦皺がきざまれるのを見たのは百五歳、絶対安静の指示を守った四十五日の終わり近い時、喘鳴が始まり仰臥の首を左右にうごかし苦悶する……その時々刻々のみであった。
 どんなに苦痛だったか。忍耐の様相はグワラグワラグワラと鳴る咽きは窒息状況……背ひとつ撫で得ぬ私が手にとるその手は浮腫いっぱい……母よ! 母よ! 我が涙の流れおちるままのそのとき、母の喘鳴が始まる前のそのとき、母の涙が枕に落ちたのだった…… 目は閉じていても、聴覚は気配も声も涙も見分け聞き入っていたのか。
 お母さんを思えば悔いだらけ……心が絶叫しつつあなたを呼びつづける……
 唯々うけるだけだった私よ……与える何も返すなにもなく、私は母を逝かせてしまった……永劫の詫心よ……
 兄亡しハマ代嫂なし、父母も姉もすべて鬼籍とは。頭が茫となりそうな無量の感慨というべきか。
 すべては逝く。
 万物生じては滅びる。
 滅びては生をみちびき、恒常のもの一物としてないのが無常の真理よ。
 
 初ちゃん来室。
 鰻素焼きの酢漬は珍味。それと果物のシロップ漬けのご馳走拝受。ありがたいことよ。蒲焼きは濃密で、塩分にとおい菜を撰びたい私好み。おいしいおいしいと、頂く。
 初ちゃんに床頭台のひきだしや開き戸を点検してもらい、見落していたものを処分する。お陰であちこち片付けられ、気色もさわやかすっきりよ。
 母よ!
 立春でした。
 二階の病室で、婚家の離れで、離別後の下田町で天草でと、また福岡日赤病院入院でなどなど、お世話かけましたねえ。いっぱいいっぱいの苦悩や苦痛は、私の考え及ばぬところまで、人間苦を味わわせた私でした。
 父恋し母恋しと泣く声は……とは、賽の河原和讚で、お地蔵様が現れて衣の内にお隠しになり、鬼から護ってくださったという物語り。
 母よ!
 今夜もまたお待ちいたしますね。



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