角田房子さんがPHP文庫から1月に出した「一死、大罪を謝す」―陸軍大臣阿南惟幾‐を読む。徳将といわれた阿南大将(陸士18期)は陸軍大臣として昭和20年8月15日、自刃、享年58歳であった。敗戦時における陸軍の暴発を防いだ功績は大きい。私たち59期の歩兵士官候補生の3個中隊、12区隊は富士の野営演習中で演習隊本部前で終戦の詔勅を聞いた。阿南陸相の自決を知る由もなかった。全国の部隊から「陸士はどうするのか。戦うのか、承詔必謹でいくのか」という照会が寄せられた。八野井宏生徒隊長(大佐・陸士35期)は「軽挙妄動すべからず」と戒めた。
「徳義は戦力なり」が阿南さんの持論であった。他部隊から応援を頼まれた場合、例え自分の部隊が戦闘で疲れていても出動する指揮官であった。判断に迷った場合、徳義を尊重して武士道的用兵を心掛けた。
昭和20年5月23日沖縄の米軍飛行情に殴り込みをかけた義烈空挺隊の隊長奥山道郎大尉(陸士53期・戦死後2階級特進)は阿南さんが東京幼年学校長時代(昭和9年8月から2年間)の教え子であった。出撃に当たり部下に阿南校長の教えを伝えた。「勇怯の差は小さいが、責任感の差は大である。真の勇者とは責任感の強い者を言う」。この言葉は戦後 私の座右の銘となった。ことを処理するに当たって常にこの言葉を反芻した。
毎日新聞に入社した際、先輩から「一週間必ず一冊の本を読め」と進められ、勉強する者とそうでない者の差は10年たつと歴然とすると戒められた。その教えを真面目に実行した。その成果が現れたのは論説委員になってからであった。本書によると阿南さんは「楠氏三代」「上杉鷹山」「神皇正統記」などをよく読んだ。飯村穣中将(陸士21期)は常にフランスの兵書を、本間雅晴中将(陸士19期)は陣中でもイギリスの小説を手にしたという。読書にもその人の人柄が表れるようだ。
阿南大将は多摩墓地に墓がある。その横にある石碑には「大君の深き恵みに浴みし身は言ひ遺すへき片言もなし」と辞世の句が彫りこまれている。
(柳 路夫) |