2005年(平成17年)2月1日号

No.277

銀座一丁目新聞

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自省抄(19)

池上三重子

 2005年1月4日(旧暦11月24日)火曜日 晴れ

 母よ!
 今日は私の誕生日。その年は霜月二十九日、風浪宮祭の日だったと繰り返し聞かされた話でした。若い日、和服姿で一緒にお詣りし、帰りに郷原のキノ伯母さん宅に立ち寄ってお招ばれさせて頂いたものでしたね。祖父母はチヨ、キノ、ヒロ、キクと姉妹四人、長太郎、虎次郎、大三郎、弥三郎と男子も四人の子福者。長男は胃弱で役所勤めで分家し次男は麻疹で夭折。大三郎が跡取り。この伯父はニコリともせず偏屈者と思っていたが家督を譲った老年期は好々爺・・・・。
 今はすべて幻のひと。キノ伯母は「義の強か人」と。母よ、あなたは仰言っていた。生家・大藪家のあの広い家の中いっぱいに、庭中の隅々まで、そして表の広い干し場や往還をはさんだ畑までも、いっぱい思い出が詰まっていたのですね。
 私の生家! 何も思い出を残さず建てかえられ、名残の古木の大紅葉も周囲をコンクリートで固めたためか勢いをなくして切り倒し、堀へ降りる石の段々も危険のため柵を回して幕。これはお向かいが八百屋で屑類で自然に埋めてきた由。家は石垣を築いてに上の地所に建てているからそまま。転勤で家は留守番なしで年に一、二度帰宅する程度で空家も同然・・・時の移りまざまざ・・・郷愁に駆られない現実を喜びとしよう・・・郵便局勤めの美人ナミちゃんも今はなく、贈られていた見事な切手帳も畠山洋子ちゃんへ上げて気懸かりなし。
 はねばはね踊らば踊れ心駒
 みだのみのりと聴くが嬉しさ
 一遍上人の出離の心象には遠くても、春駒の若さ漲る様を想うのは楽しいではないか。仏道への信仰の深まりを一遍は動によってかたちとし、道元上人は只管打坐の静を拠りどころとしたか。
 日蓮の団扇太鼓叩きの南無妙法蓮華経には関心が向かなかったが、それもまたおのがじしよ、の思いに変わっているのは精神の角々の取れた円満具足の兆しか脳軟化?脳軟化?への老いの進みか。
 いずれにしてもよし。
 自然法爾よ。これの「に」の漢字に「玉」はあったかな、なかったかな。自然法爾!「玉」があれば印鑑よ、ね、私よ。
 自省抄を綴っていて漢字の忘却度の著しい進行はやはり寂しい。寂しいといえば、聖書と賛美歌があるから大丈夫といっておられた坂野峻先生の、ご次男のお嫁さんへの寂しさを訴える電話ひっきりなし・・・今はわかりかけている私といえようか。そのころは裏切られた感じだったけれど。
 母の霊前にお参り頂いた池上定一先生の「寂しい」とのお呟きも又と、静かに肯かせて頂くことができそうである。
 お二人ともお寂しかったのだ。
 お二人ともに人格秀れた並々ならぬお方であった。その寂しさは残るものの寂しさであろうか、人生との別れからくるものであろうか。こういう事を心しずかにかに思いみる時を与えられている幸いに感謝せずにいられない。思うことも時に拝受よ。

 昨夕の遅出のリサちゃんこと山田里美寮母さんには驚嘆と感謝こもごも。体位交換のさい彼女の掌は温かだった。私の背中は仰臥位だから熱気がこもる。ああ温かかなあ、冷たい方がよかったなあと私の何気なしの一言、ところが、彼女はいきなり流しの水を出しに走った・・・深謝だ。冷たい掌が温まっていく時の感触の快さ以上に。この寒冷期の水道の水は、普通、手を洗おうとするのさえ、いいですよっと押しとどめる程なのに。
 ありがたかったなあ。
 お正月のお年玉、頂きですよ、ありがとう、リサちゃんと愛称がほどばしりでた。
 優しくあれ!
 優しくあれ!
 私自身に呼びかける内なる囁きよ。
 正面の鶏の親子四羽トカレンダーのでっかい居眠り猫ちゃんが応援隊。スマトラ沖大地震、大津波、国内新潟の中越地震を想う。新潟、雪が少ないといいがなあ。でも雪が少ないと田園地帯では収穫に直接、量がかかわるだろうか。
 只今、大阪の畠山洋子ちゃんから誕生日のプレゼント。ミニちゃんというそうな。ミッキーマウスと一緒に出る女の子という。
 誕生日のプレゼントありがとう。洋子ちゃん。
 内村さんも今日、誕生日と。忘れていて気の毒なお思いをする。ごめんなさいね、最も頼りとする介護者なのに同日誕生日を忘れるなんて。ごめんなさいね・・・・。
 両開三人組の二人、下川サダさん、森田良子さん誕生日プレゼントのお花を持参.活けていく。チューリップは赤白と思っていたのにオレンジありピンクありに驚く。花屋経営とあっては活け方も大事。クリスマスの贈物ポインセチアもまだ健在。これも彼女からの頂き.冥利に余ある贈物を納めさせて貰う。
 教え子さんと呼ぶお子ら、この二人も還暦すぎの孫持ち。お子らが四十歳近くというから、全く長生きは寿命ながら、受ける一方の生は哀切をともなうものよ。こんな時宝くじを連想。当たって何倍ものお返しができたらなあと、買った一時期もあったけれど今は全然その気なし。
 ごめんなさいよ、可愛いお子らたち。
 四時すぎ生家の甥・隆昭夫妻来室。
 例によってニューメン、ホーレン草のお浸し、春菊、採りたては甘く香りもたっぶり。その上胡蝶蘭とバスタオルまで。バスタオルは頂き物があるので戻したかったが縁起悪しと思われてもと頂く。頂くのは嬉しいけれど年金生活の中をと、よぎりつつ頂く・・・
 戦病死の兄は彼の父親。珍しく二、三の質問。私の記憶の希薄とならぬうちに伝えられるかぎりは知らせたい。生後九か月の彼を抱き締めた感触は、兄の父親になった歓び、家を、自分の跡を継ぐ子を授かった歓びは家長としての頼もしさや安堵感・・・
 佳きよき私の誕生日であった。
 勿体ないような恵み頂きの誕生日であった。垂乳根の乳余る母の乳房に振袖弁腑の乳児と八十一歳の誕生日を、母よ! このような一日として過ごしました。
 ありがたい一日でした。
 感謝あふれる一日でした。
 浮沈あいかわらずの感情を味わいつつ眺めやりつつ、死へ憧れつつは秘匿事として明るく生きてまいりましょう。
笑い上戸だった若い日、秋の三時ごろのひと時が甦ります。父と干した籾のむしろを畳み、二人で抱えながら苦虫つぶした父のお顔が可笑しくて笑いの止まらぬ私でした。
 母よ! 夢見にお待ちしますね。
 産んでくださった聡明なお母さんを讃えつつ。
 今日は私の誕生日、午後のペンは早や三時半。思いかけず・・・たいていそうだが・・・八王子市打越の佐藤祐子さんが、お子のさよちゃん成人祭の芳紀めでたいおん年と二歳坊やのヤンチャエネルギーそのものの末も頼もしいお子連れで来室・・・大変だったろう道中を思いつつ感謝しつつのペンよ。
 ありがたい事よ。
 本当に勿体ない事よ。
 果報の忝けなさに世俗の穢心がきよめられて浄福の心象を自祝しやまぬ。
 数ならぬ身に!ありがとう、ありがとう。
 八十一歳の誕生日! そういつしか重なった齢、恥つつ、慚じつつの祝いのお言葉受けよ。勿体ない! ただただ勿体ない志づくしに頭が垂れていく・・・

 只今、隆昭夫妻帰途につく。
 誕生祝いに来室してくれた。
 ニューメンと、自作のホーレン草のお浸しに春菊のそれも、大根の三杯酢も採りたての持つ旨味の豊かさはふるさとの味わい。九が月目の赤ん坊だった彼を錦州駅頭の永別一期で戦病死した兄のお年玉として・・・哀別の感よぎりつつ忝くいただく・・・
 こんな嬉しいものか。煩悩を払い、渇愛のこころ養わねば、という孤独のおりおりは普遍の祈りごころに自省するものの、人さまの温かいこころやりは!
 夢タウンに赤い灯が点り、やや遅れて高木病院に青灯が点り六時十分、夕餉の献立放送中・・・
 今夜はお清汁だけ頂こうか。貝柱三個は弱い体に無理だったのか、お食事そのものに嘔吐感をおぼええる程だったのに、久しぶりに千鶴さんのニューメンが美味しい。
 母よ!
 今夜もお待ちしますね。
 ぜひぜひお顕ち下さい。



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