2005年(平成17年)1月10日号

No.275

銀座一丁目新聞

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自省抄(17)

池上三重子

 8月27日(旧暦7月12日)金曜日 快晴

物忘れのひどさに驚くというより呆れる。先輩礼子先生の姓・水落が昨日は小半日近く浮かばなかった。住所録は天草時代に西嶋清子さんが作ってくれたが、水落先輩のように長い歳月の交流であれば同郷・同窓、しかも隣村在の条件が記載を必要としなかったのである。
 新聞の投書の五十九歳の女性。私の最近の忘却度の匹敵する内容。殊にメガネ探しに同情。現にかけているのに失念とは。もし私がメガネを必要とする視力なら、寸分違わぬ失態を演じたであろう。
 白内障手術後に緑内障併発、頼みの右目の視力激減という症状に打撃を受けっ放しながら、ものは思いよう考えようと対応術か諦観か。人間の適応性には感動する。
 文字に文章に欠損分があろうと、二重三重に乱れようと、三、四度きつくしばたいて眼球の血行をはかれば読める!文意もとれる!これが、ありがたいなあ!となるのである。
 隣室のおばあさんは百三歳という。
 寮母さんっ、寮母さんっと語尾上がりの呼び声が聞こえるたびに、私の心はがんばれ!がんばれと反応、ブザー代わりのの呼び声はきつかろう、とも反射神経は思わせるが、いやいやそうじゃない、意識が奮い起こされ心肺機能も腹筋も・・・と励声を贈る気分だ。読んだり書いたりしつつの心情は生来?の世話焼き=母指摘の、いらぬお世話の焼豆腐が誘い出すのではないのかな。母よ!その様々の光影が恋しい・・・。
 他者の高齢、超高齢者には祝福の声が聞こえるけれど、自身には「いやだ!いやだ。平知盛じゃないが、見るべきものは見つと自死できたらどんなに嬉しいか!」念願悲願の例の憧憬が擡げる。自虐だろうと不遜傲慢だろうがと、切望のエネルギーは強靱だ。堅牢そのものだ。
 私の食と住は納税で賄われている。 
 国民みなさんの責任と義務の税が資金源である。報いるには、と自問。答えは誠意!絶対他無し!
 明治期仏教の改革者・清沢満之全集は、精神医学の権威・神谷美恵子先生の全集やフランクル全集、古代ローマ帝国皇帝・マルクス・アウレリウスの自省録、論語とともに往きつ戻りつ読み飽くことのなかった書物であった。
 何を教えられたのか。
 何を学んだのか。
 人間らしい心!ではなかったか。
 叡智に裏打ちされた真情であり至誠ではなかろうか。生命まるごとの奥深く潜在するいぶし銀のような魂ではなかろうか。
 保つも自由
 壊すも自由
 捨てても
 踏みつけても
 投げ打っても
 にんげん一人ひとり委ねられている駆使自由の貴さ、厳しさ・・・私は頭を垂れていく私が愛おしく、慈しまずにいられなくなってくる。
 私の報恩は社会還元。社会還元の最低位はこころの声.天声天語のままに、自分自身に 縁のある人々に、物に、事に対かう象ではなかろうか。

自省抄にペンを運びながら、つくづく勉強が足りなかったなあと悔いに似た寂寥感の拡がりを覚える。一生懸命に生きてきたと思うのは錯覚では?つもりでは?・・・と。
 私よ!
 それでいいのだよ。
 思うだけでも、思わないよりよっぽどいいのだよ。
 完璧主義者は自虐に通じるのだよ。
 完璧は神!
 これも絶対他無しだよ。
 六時近い、とは五時の見損ない。
 母よ!
 あなたの自然性は身贔屓ならず、実に美しかった。顔の美醜も体躯の均衡も超えて、生命体のまとう品位様のものは自然性。自然性は賜物。恩寵。


8月28日(旧暦7月13日)土曜日 快晴


 江上由紀子夫人の夢。生前の美しいご容姿。柳川城内村の中学教師の次女・美貌を望まれて天草高浜の医師の妻に、医師の叔父に童時代、目を留められてのご縁だった。村人たちが振り返って見るほどの世離れした新妻を、新郎は伴に休診日は写生に出向く・・・
 隣室の清水シズエさんから聞かされたものだ。清水氏は軍国時代の志願兵。下積みの二等兵が出発点。二等兵・・・一等兵・・・上等兵・・・兵長・・・少尉の時に終戦。貧農生活で豚を飼い、鶏を飼い卵を売り、娼婦の前身を知る一人の農婦に暴露され吹聴され等々、打ち明けられて知る身の上だった。
 短歌結社(長崎)会員。「埋火」という歌集出版。辞退したが「序が駄目なら」と、とうとう後ろに短文をよせたのだったなあ・・・
 おもえば暗い昔々の物語りよなあ・・・
 貧乏性とシズエさんに罵られても馬耳東風。気性きびしい神経質の表情あらわな妻と対照的に、実に優しいにこにこ顔の親切な旦那であったなあ。
 奥さんの最晩年は殆ど錯乱状態。清水氏は周囲に好感されつつ終わられたらしい。最晩年は独り身故、大部屋に移られた模様。 
 夫婦で働きに働いて一戸建てを求め、あげくにその家と貯蓄を無断で甥に譲渡…諍いの片々が愚痴となって私に告げられもした。
 哀惜ないまぜて、夫と妻は共に生きる。
 お子無しの清水夫妻の葛藤も相克も、この世の通過儀礼。私の青春も朱夏も白秋も玄冬期の現状も儀礼進行中・・・終焉早かれ!と憧憬しつつ底奏通音、仰臥三昧の読み書きの時々刻々は、いとも平穏無事、幸福そう!らしい。
 らしい?とは不遜であろう。と囁く耳奥の声は天声!
 母よ!
 佳き日でした。
 恩顧の人偲びは心潤し!これも自助自励ですね。そして他者への眼差し創りなのでしょうね。福々しい心象の中のペンです。
 夢見にお待ちしつつ、一日今日のご報告でした。



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