2004年(平成16年)12月20日号

No.273

銀座一丁目新聞

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自省抄(15)

池上三重子

  8月22日(旧暦7月7日)日曜日 くもり


8月も22日か?一応、頭に描いた後頷く。速やかに日々を送り迎えするようでいて頭の回転はびっくりるする程の遅々滞々。自覚する老いの進行状況代。
 蝉の声無し
 蝉よ!
 私の友蝉よ!
 今日だけの無声、それとも皆自然のふるさとに還っ行ってしまったの。名残惜しいなぁ。秋なのねぇ。夏!大いに壮んに謳ってくれて有難う。あなた達の斉唱は命いっぱい精こめた生の賛歌だった。自祝他祝歌だった。
 読んでいてもペン執っていても何処かで耳すまして聴き入る風情の私を私は見た。 今日は旧暦七夕。
 母の生家大藪家在の大字大藪、小字も大藪の村は七夕祭り。祭りは「よど」と呼ばれた。よどは淀か夜淀か。民族学の学者か研究家、あるいは古語に造詣深い識者に教えてもらえたらな。関心は満々だがなあ。

 傷が命取りとなる。
 舞台中央に妻女登場。
 舞台は天井に吊りランプ。右と左に置きランプ。明るい舞台だけでも薄闇に馴染んでいる村人たちには陶酔を誘う。
 喚び人のおらぶ出し物は、庄屋の飯炊き女。
 手拭いを姐さんかぶりに久留米絣の裾短か。赤い湯文字に赤だすき、身の丈余る大杓子を右腕にかき抱く顔は鍋煤、釜スス、カマド煤。
  わたしゃ庄屋の飯炊き女
  飯もだんだん炊き様がござる
  始めチョロチョロ中パッパ
  出来そこなぁや旦那さんの目が光る
 面白おかしく大杓子繰りながら唄って踊ってドンッ!と持つ柄で床を突いたとたん,満杯の油が火炎となって噴きこぼれた・・・・。
 新妻の災難を訥々と潤む声でつたえようとするかっての思い人を前に面伏せる母も人妻。
 問わず語りの七夕のよどの一夜は明治の世も後期。降る雪や明治は遠くなりにけり、と草田男は詠んだ。名句は頭を垂れさせる・・・。
 焼死の新妻も災禍を語った夫も、聞かされた母も、追懐する私の脳裏には若者と娘上がりの齢の映像である。
 明治の七夕よどは暗くて近々しい過去。
 夏祭りよどの客となって,束髪、ふくらかしのヘアスタイルに麻地の夏衣を着る母と連れ立つ童私のはしゃぎを、私は奥の心に甦らせる。感傷?それは感傷。しかし甘美なオブラートにくるまれた感傷の豊潤さはエネルギー源。私の生意を枯渇すれすれから復活させ、時には高揚の学びこころとなって激励を惜しまない。
 人間の生命体の微妙さ不思議佐。
 私は私の個体・心身を資料とも参考書とも文献ともして見つめ眺め飽くことなさそう!
 母よ!
 こういう一日でした。
 佳き日連続の観に昨日のウツ症状は夢のまた夢見たいです。
 夢見にお待ちします。
 そうそう。昨夜は沢山の早生ミカンの頂きをどのように披露使用かと、母上と二人坐って眺めている夢でした。
 多分びっくりする量のイチジクと巨峰。良ちゃんサダちゃん両開祖の手土産披露を思案した曳影でしょうね。



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