2004年(平成16年)10月10日号

No.266

銀座一丁目新聞

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山と私

(11)
国分 リン

−追悼 山と渕上さん−

  8月2日(月)午前4時52分 渕上さんが逝去されたの知らせに涙が止まらず、今も彼女を思うと涙があふれる。私にとってかけがえのない友・いやカメラードを失った。こんなに短い入院生活で逝ってしまうなんて。 必ずまた元気な姿に会えるのを信じていたのに。でもこんなに悲しむのを彼女は好まないだろう。そうだ、彼女の山の事を書こう。
 
 平成7年7月エーデルワイスクラブに入会されたきっかけは、幼なじみのお誘いでした。前年にご主人を亡くされ生きがいを求められていた。クラブでの年間山行回数10傑に必ず入っていて2回は最多山行で表彰され、すごい人と感心していた。平成11年クラブの会報でその友が書かれた渕上さんのプロフィールを紹介すると、「コーラスとカメラ部に在籍し、部会・集会・忘年山行にも必ず参加する模範的な会員です。クラブ山行で初めての高い山早池峰山へ登った時、余程感激したのでしょう。可憐な花々が咲き競っていて素晴らしかった。何度でも行きたい。と興奮気味に電話をくれました。初めての海外が平成10年秋の20日間に及ぶアンナプルナ内院トレッキング・平成11年秋はカラ・パタールトレッキングとすっかりネパールに填っています。」この後を私が引き継ぐと平成13年1月ニュージーランドトレッキング・平成14年ブータントレッキングに今年4月19日からの秘境を包む石楠花の花とヒマラヤの旅へ出かけられ5月4日に帰ってきて第一声 調子が悪くていい写真がぜんぜん撮れなかった。歩先生のヒマルンヒマールも見られなかった。尾形先生にネパールのお酒、お土産に買ってきたので一緒に付き合って、飲みましょう。5月の会合はゴメン欠席ね。これが彼女からの最後の電話になったのでした。告別式の日にお嫁さんから彼女が用意していた一人一人の宛名のついたお土産を頂いた。調子が悪い体で皆の為に買い物をするなんて本当に彼女らしいとまた涙がこぼれた。

 平成12年の年越しから毎年共に1人身の気楽さと寂しさからスキー場でカウントダウンをし、新年を迎え 今年もよろしくと、お雑煮を
食べてスキーを楽しむのが恒例でした。彼女は昔からご家族でスキーに
行っていたが、[年に一回なので体が忘れてしまって、上達しないのよ。]
と言って安全速度で滑る。「絶対無茶はしない。怪我をしたらこれから忙しくなる仕事に差し障るから。」といつも慎重でした。今年もねと約束していたのに残念です。

 スポニチ登山学校へ入校し彼女は1番の年長をなげき、もっと若い時に入りたかった。と言いながらも積極的に参加し、講座はいつも20分前に一番前の席に座りメモをとり、自分の納得いくまで質問をし、とうとう地図読みを会得と喜んでいた。7期生の姉御的存在でリーダーでもありました。今年はエキスパートで3月 雪の谷川岳が彼女と登った最後の山になりました。何でこんなに苦しいのかなといいながらも最後までがんばり、太陽も微笑み、頂上からの眺めは1年に数日しかない1日になり、彼女の感激の涙は最高でした。肩の小屋でのお昼は彼女と並んで景色をみながらお喋りをし、気兼ねなくこれ食べない?あれ頂戴といいながらの楽しいひと時でした。今振り返ると私はいつも彼女の後ろについて登り、下りは彼女が得意で早かったのに、この日は最後まで大変そうでした。私は放って先に降りてしまって、とても後悔しました。ゆっくり彼女と話をしたかった。

 昨年はスポニチ登山学校も隔月になり、その合間に個人山行をお互い計画し彼女が行きたいといって甲斐駒ケ岳を8月に、穂高縦走を9月下旬に長野のご夫婦と出かけた。甲斐駒の時は最高の天気で彼女も元気で、
下山の時は駆け足で降りた。穂高のときは、2日目が途中から雨で彼女が一瞬すべり、ドキッとしたが、大丈夫よとその時の顔も忘れられない。それからはより慎重に大胆に岳沢へ下り、その頃から天気が回復し彼女の晴れ晴れとした顔が思い出される。

 彼女はギューッと凝縮して山へのめりこみ、まだまだ登りたい山がたくさんあったに違いない。 それに彼女は几帳面で、大学ノートに番号を振り最初からきっちりと山行報告を残し、感想・植物の名前も調べ、整理をされていると聞いた。それによると渕上流100名山は終わったのよと冗談に聞いた事がある。

 山と彼女のことを書く上でスポニチの故野沢井歩先生のことを書かないわけにはいかないと思う。彼女は個人的に親しくはないが、歩先生の事がなぜか可愛くて大好きです。とスポニチ機関紙サガルマータに彼女が書いているが、深い感情の趣くままに、歩先生のお墓参りを4月2日にいって戒名を写し、素晴らしい短冊にして今回のネパールのトレッキングに持参され、ヒマルンヒマールの見える丘で密かにお花を供えて、お別れがしたかったらしいが、出来なかった。何故か因縁を感じた。
 彼女とのお別れのときに歩先生の写真と短冊と野田さんが歩先生から頂いたネパールの数珠を偲ばせ冥福を祈る。

 お孫さんたちが告別式で涙をあふれさせていた。いつも山へ出かける度にお土産を買われ、とても可愛がっていたのを知っていた。オチビさんと琴を習っているのよ。静もしておかないとね。上手くなったら聞かせるね。楽しみにしていたのに。

 最後にスポニチ七期生のエキスパート山行で立山3山と剣岳へ8月6日夜出発。剣沢小屋2泊、始めて7期生だけの山行でした。渕上さんが守ってくれたのか、お天気も良く何事もなく終り、テラスで渕上さんに献杯しようと皆集まりました。リーダーの平井氏は、学年は違うが同年生まれの渕上さんが亡くなるなんてと、男泣き。それにつられて皆涙をこぼす。いつまでも忘れないで渕上さんを思い出すことがカメラードの努め、さあ皆で渕上さんの好きなアンザイレンの歌を唄いましょう。

1、 朝日に映えて 光るる峰に 憧れの花匂う
          エーデルワイス エーデルワイス
2、 大空閉ざす オーバーハング こだまする音聞こう
          ハーケンの歌 ハーケンの歌
3、 夏雲くずれ 嵐吹くとも 俺とお前の誓い
          アンザイレン アンザイレン
4、 山の女は 夕べの空に 帰らぬ友を求め
       寂しく歌う 寂しく歌う
                   
                      合掌

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