2004年(平成16年)10月10日号

No.266

銀座一丁目新聞

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自省抄(8)

池上三重子

 8月9日(旧暦6月24日)長崎原爆の日 月曜日 夕立

昨夜快眠。友人への便り、投函するばかりに整ったことと中島智香喜さんの在室二時間によろうか。楽しかったなあ彼の言言句句。
 智香喜さんは三百人余の社員をかかえた運輸会社の創業者。現役ではないが後ろ盾の重鎮、貫禄は充分。年齢は一つ下だが人間的には頼もしい先輩とも師とも友ともの観。彼を知り彼を岐路で支援した人の侠気が私には理解出きる。彼は理解にこたえて余りある人物といえよう。滔々と立つ弁論の片言隻句、彼の実践、生命を賭してえたものの強みをもつ故、説得力は完璧。誉めすぎではないな。
 彼の生い立ちは複雑。血のつながりはないが彼は従弟。旧家中島家に入ったのは二十一歳。無為徒食の姉妹四人の伯叔母の伯が彼の母上。浄瑠璃の義太夫だった母上は師匠。弟子格の年長の愛人との仲にできたの子が彼。父と母を恨んだ時代もあったとの言は切実にひびく。
 母キクの末妹・エミ叔母が家刀自で彼の母上は小姑に当たるわけだが、少女の私は嫁かず後家と呼ばれる四姉妹さんに歓待された。
 夕立が来た。
 ピカッピカッゴロゴロ。ゴロゴロさんは怖かった。小心臆病童女は神棚の下に正座しつつ震えた。チャンチャンの雷鳴には蔵仕事を中断。母が蚊帳を吊る。一角をおとして三角にするのは雷さんの逃げ道? ここらは曖昧な記憶・・・田代昭一郎さん来
室との伝令。擱筆。
 昭一郎さんは家へ直行の運転中か・・・
 久しぶりの来室。相変わらず若い。頭髪が真っ黒。七・三に分けた貴公子の面影は酒造業「養老」の御曹司。二十代を彷彿とさせて実年齢七十三を疑わせる。おっとりと侍られる形の商店主。彼と、苦難の生い立ちで三百人を擁する運送会社を作り上げた昨日来室の智香喜さんとの対比は、感慨を催指せる。
 環境は人を創る。
 人は環境を創る。
 人生の明暗を分けるのは何か。
 運不運の「運」、運命につきるのではないか。兄の運命は? 神童・頭脳明晰・重役・召集令状・国民補充兵の二等兵・戦病死(マラリア)・遺骨のない帰還・二階級特進の上等兵。戦没の地はボルネオ島の北ボルネオ。
父母の愚痴は皆無。軍人恩給なるものが嫂の没後は母に。母は隆介(兄)は死んでからまで親孝行してくれると押し頂いた。靖国神社に祀られ、人の拝まれる神になったと喜んだ。
 神は母にとって生来的な絶対者.母の生活を貫いた思想・信条。正直の頭に神宿ると自身の頭も他者の頭も同一視した。
 私は戦没の兄を不運とする。個の兄は無量・無数化されて戦争否定!となる。
 兄よ!
 生きて還って欲しかった。 
 世にあらば九十六歳。新聞の投書欄に健筆をふるう同年齢者があなたに重なる。いのちの輝きは美しい。楽しい。人も草花も樹も木も蝉も智香喜さん宅の庭の水槽に泳ぐというメダカ達も愛しくてならない。
 睡蓮といっしょについてきたらしいというそのメダカも五ミリほどがニセンチに成長。想像する私の心は祝福の賛歌をうたい出す。

   佳きかな人の世
   佳きかないのち
   美しい日本
   楽しい日本
   汚れるな
   濁るな
   汚すな
   侵すな
   侵されるな


   母よ!
   今日もまた佳き日でした。勿体ない程に。
   明日は明日の風に任せましょう。
   永劫の流れは時々刻々。すでに鴨長明は方丈記に。今夜も夢見にお待ちします。



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