オウム真理教の麻原彰晃の判決公判(2月27日)要旨を読んでこの宗教組織はテロ集団とあらためて思った。殺害した者は地下鉄サリン事件の12人をはじめ合計27人に及ぶ。犯罪史上類を見ない。判決要旨によれば、1990年(平成2年)衆議院議員選挙に惨敗して以来「全世界にボツリヌス菌をまいてポアする」と無差別大量殺人の実行を宣言。サリンやVXの生成、自動小銃の製造計画など組織の武装化をはかり、国家権力を打倒して日本にオウム国家を建設、自らがその王となる意図を明らかにしたという。常識では考えられない事を信者達は次から次へ実行した。とりわけ、サリン事件をアメリカ、ロシア、中国、北朝鮮が毒ガスによる「テロ」として注目した。中国では二人の軍人が「超限戦」と言う書物を出版、これからの戦争はテログループ対国家の形となると予言さえした。不幸にもそれが形となって現れたのが2001年9・11事件である。事件現場の日本が一番反応が鈍かった。テロという認識が薄かった。
この悪質極まりないテロ集団を団体規制法による観察処分にしたのか、未だに理解に苦しむ。解散の処分をすべきであったと思う。殺人者を教祖に頂く組織を何故「信教の自由」で保護しなければならないのか。いまなお信者の数は1600人、麻原を教祖としているという。理解しがたい。
マスコミで「オウム真理教の狂気」と題してキャンペンを最初に始めたのが「サンデー毎日」(1990年10月1日)であった。それでも会社全体のバックアップが不十分であった。とりわけ警察が捜査を始めないというので編集局は一行の記事にもしなかった。オウムの街宣車が東京・竹橋の本社前でがなりたてても、会社内のトイレなどにビラをはられても、キャンペンを張る仲間を援護する記事を書かなかった。他の新聞も同罪である。警察の失態を攻める前に新聞の不明を詫びるべきである。その意味ではオウム真理教の異常さに気がつき警鐘を鳴らしたジャナリスト、
江川紹子さんは立派である。はしなくもこの事件は新聞機能の衰弱振りを如実に示したものでもあった。 |