2月27日、オウム真理教による一連の事件で殺人罪などに問われている松本智津夫被告の判決公判の日とあって事務所に着くやラジオをつけた。地下鉄サリン事件当日の地獄絵さながらの生々しい光景などが被害者や病院関係者によって語られ、その合間に地方裁判所から主文は後回しにした判決理由の朗読の内容や、何時に無く落ち着かない様子ながら時々笑みを浮かべたり、あくびをしたりしてまるで他人事のように判決理由を聞いているという被告の様子なども報じていた。
9年前の1995年3月20日、私はこの事件を長男の「あ、無事だね、それならいいんだ」という電話によって初めて知った。その日、以前勤めていた事務所の解散による引越しの最中で、テレビを見ようにも殆どの荷物が運び出され後で見ることも出来ず、結局、事件の詳しい内容を知ったのは家に戻ってからであった。
長男がJRに勤務していることもあって、霞ヶ関駅の職員が車内にこぼれていた液体を、猛毒のサリンとも知らずに拭き取って被害を最小限に食い止めながら、自らの命を落としたことは他人事ではなかったし、3月20日という日も忘れようがなかった。また前年6月の松本サリン事件以来、夏でも窓を開け放して寝るのが怖くなり、それは今でも続いている。
被告に求刑どおり死刑判決が下されたものの、控訴審がまたもや続くとすれば一体いつ終わりが訪れるのだろう。
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