花ある風景(157)
並木 徹
友人から知的刺激を受ける
同期生の前田孝三郎君から「君と対極的の思想の持ち主の本だが読んでみては・・」と同じく同期生で牧師をしている角田三郎君の「荒野の虹」(毎日新聞・昭和55年刊)を進められた。角田君には「かみ・ほとけ・ひと」(オリジン出版センター・昭和58年刊)の労作がある。彼から署名入りでこの本を頂いている(1983年3月14日の日付がある)。開いてみると、380ページと381ページの間にシオリが挟まれてあった。目を通すと「隣人のもっと深い『ゆえなき死』の悲しみを知った。いささか教条的な書き方をすれば、侵略者である者にもこの悲しみがあるなら、侵された人々は、と、初めて目がひらかれた、といえる。戦争への参加は偉業でなく、たたえられる事績でなく、そこにしのばれるべき遺徳はない」とある。同期生にもこのような人がいるのかと感動してシオリを置いたのだと思う。
「荒野の虹」は陸士56期生で航空士官学校を卒業した松沢信次を主人公にして『いわれなき死』を強制された隣人との悲しくも痛ましい心の交流を描いた小説である。角田君は海軍大佐の父と海軍予備学生で航空将校の兄を戦いで失っている。小説は自伝に近いものであろう。「後の続く者を信じると」ガダルカナル島で戦死した若林東一大尉(52期)の遺作の歌も出てくる。卒業時、天覧試合に選ばれた際、区隊長からしごかれた話もある。彼は剣道4段というから昭和18年12月9日昭和天皇が予科士官学校へ行幸された際、天覧試合にでたのであろう。筆者は出場者の候補にとどまった。
特攻の魁となった56期の阿部信弘中尉の話も出てくる。昭和19年10月20日、阿部中尉はカーニコバル島沖合いで英機動部隊に突入、壮烈な戦死を遂げた。56期生の青春を描いた「血壁」(宮野澄著・毎日新聞)によると、彼は母からの贈り物だという純白のマフラーを首に巻き周囲の「きざだぞ」の声にも耳をかさず基地を飛び立っていった。「編隊長を核心とする全機,それぞれ敵艦上において壮烈な玉砕を遂げたり」と戦闘詳報は伝える。阿部中尉は総理大臣を経験した陸軍大将阿部信行の6男であった。
少年飛行兵出身の斉藤曹長の特攻志願の「動機」には驚かされた。己の無知にも反省させられた。その動機とは、東北の大冷害で家は没落、姉は身売りした。その姉は一昨年亡くなった。家には千円ほどの借財が残っている。年をとってゆく父母とまだ高等科にいる14歳の弟。こう考えると、特攻隊で死ねば、ニ階級特進で少尉となり、弔慰金も特別に付加される。もし三千円以上になる一時金があれば、家の借財はすぐ返せれるし、少しでも田畑を購入できる。百円に生命をかけた姉と三千円に命を賭ける私と心は同じであるという。
5月3日((昭和20年)修武台の後輩、見習士官となった58期の練成飛行隊、59期の教育飛行隊が続々と梅林-杏樹−佳木期−白城子の線に展開を始めるとある。
角田君は59期生の航空で22中隊1区隊に所属し、杏樹で操縦訓練を受けている。6月には2区隊の平勝夫君が搭乗直前の事故で殉職した(平君は靖国神社に祭られている)。59期の操縦は明らかに特攻要員であった。卒業はその年の8月31日であった。
主人公松沢は幼馴染で婚約者でもある金英順と劇的な再会をする。結婚、英順の無残な死。兄、仁夏とのさまざまな出来事と友情を通じて「歴史は民族の視点を離れ得ない」と言わしめる。そして主人公は次のように訴える。「戦争は朝鮮、中国・ベトナム・フィィリッピンと次々と隣国を日本が侵したことだし、そのなかで、いわれなく隣国の人々が苦悩し殺されてゆき、愛する者が奪われていった事だと思う。それは日本の自衛の行為の為というより。全く米英ソと同じく侵掠者としてのふるまいであったのだ」
角田君は「いわれなき死を強制された隣国の人々に対してなした事への罪の意識を持て」というのである。角田君の言う事よくわかった。もう一度丁寧に「かみ・ほとけ・ひと」を読んでみるつもりである。 |