安全地帯(63)
「紙屋町さくらホテル」
−信濃太郎−
井上ひさし作・鵜山仁演出・こまつ座の「紙屋町さくらホテル」を見る(12月8日・紀伊国屋ホール。12月21日まで上演)。戦争中、広島を根拠地として演劇活動をし、原爆で犠牲となった移動演劇隊「櫻隊」の物語である。
プロローグは東京巣鴨プリズン(1945年12月19日、4日後の23日にA級戦犯7名が処刑される)。辻満長が扮する元海軍大将、長谷川清(海兵31期)と河野洋一郎の元陸軍省軍事資料課主任、元陸軍中佐、針生武夫との会話から始まる。意外な設定である。二人とも『櫻隊』でお芝居をやるはめになるのだが、二人の会話の中に井上ひさしが言いたい事がすべて凝縮されている。また芝居のあちこちに珠玉のような言葉がちりばめられてあって心地よかった。この日もまた笑い、涙し、深く考えさせられた。
針生は今は連合国総司令部の参謀2部で日本人スタップの一人として戦争犯罪人の摘発の仕事に取り組んでいる。長谷川はその針生に「A級戦犯として拘留してくれ」と経歴を並べてその罪状を訴える。海軍大将(1934年4月)、アメリカの日本大使館付き武官(1923年11月)、呉海軍工廠長官(1931年12月)ジュネーブ軍縮会議全権(1933年4月)海軍次官(1934年5月〕横須賀鎮守府司令官(1938年4月)台湾総督(1940年11月)軍事参議官(1944年12月)針生は長谷川が開戦の年1941年には台湾総督であり、米英との戦いに与らなかったし、この年4回開かれた御前会議にも出席していないので、戦犯になりようがないと返答する。それよりも陛下の密使として4月、5月(1945年)にかけて陸軍の本土決戦の進捗状態を探った事実を暴露する。長谷川は「本土決戦は不可能である」と奉答した。8月15日聖断が下るまで2ヵ月余。もっと早く下されておれば、広島、長崎の悲劇は避けられた。櫻隊の犠牲もなかった。丸山定夫(木場勝己〉も園井恵子(森奈みはる)も死なずにすんだはずである。
丸山のセリフがいい。特高刑事戸倉八郎の「役者なんてものはね、真っ当に働いている世間様のお情けにすがって生きている屑。人間の屑」の毒舌に、丸山は答える。「人間の中でも宝石のような人たちが俳優になるんです。なぜなら心が宝石のようにきれいで、ピカピカに輝いている者でないかぎり、すなおに人のこころの中に入って行って、その人そのものになりきることができないからです」
第2幕で園井が演技指導する場面が出てくる。その中で「人間の心の中をどうにかして外に取り出そうとしているのが新劇なんです。ひとのこころを表現してこそ真の俳優なんですよ」外から借りてきたやり方ではダメだという。そして男役が恋人もとへ登場するやり方は宝塚には三つしかないといって、面白おかしくその演技をする。客席から爆笑につぐ爆笑が起きる。
最後に言語学者大島輝彦(久保酎吉)の「否定と拒否の態度を忘れたとき、人間は人間でなくなるのではないか・・・」と言う言葉が胸にぐさりと突き刺さった。井上ひさしは「人類史は、ヒロシマ、ナガサキで折り返し点にさしかかった」という。原爆は未来を考える人間の力を封じてしまう。この「人類の折り返し点」という記憶をリレーしてゆく必要があると訴える。 |