静かなる日々 ─
わが老々介護日誌─
(21)
星 瑠璃子
9月13日
このところ落ちていた食欲が回復し、大好きな銀むつの粕漬やお刺身を美味しい美味しいと平らげた。よかったわねえと喜んでいると、こんどは食べても食べても食べた気がしなくなった。「ごちそうさま」と寝室に引き上げたと思うとすぐに出てきて、「晩ご飯はまだかしら。お腹がぺこぺこ」などと言う。「いま召し上がったばかりしょう」と、足立さんが事細かに説明してもどうも納得しないらしく、「何もなかったら、おにぎりでもつくってちょうだい」などといつまでも言っている。老人にはよくあるパターンと聞いてはいたが、はじめての体験なのでどう対応したらいいのかと一瞬途方に暮れる。ま、食欲が出てきたということは元気な証拠、これは一緒に喜んじゃいましょうと玉露を淹れ、冷たい麩まんじゅうをいただく。
9月14日
秋雨前線が居座って、母は二日もお散歩に行けない。そのせいか朝からいつになく表情が険しく、困ったなと思っていると、姪の明子ちゃんが久しぶりにやってきた。
明子は漫画家の卵だ。ややエキセントリックだがいい作品を描いて著作も多く、一時はたいそう華やかに活動していたが、このところ神経を病んで病院通いをしている。
「おばあちゃま、ずっと来られなくてごめんね。調子はどう?」
と母の手を取り、ゆっくりと背中をなで、ささやくような小さな声で語りかけながら夜まで何時間もずっと側にいてくれる。同病相哀れむ(?)とでもいうのだろうか、母の不安な気持ちがすっと分かるらしく、ただひたすらに優しい。すっかり安心して、母は気持ちよさそうに眠ってしまった。
「ああ、こういう介護もあるんだ」と、私は明子の優しい白い手を見守る。ただ静かにそばにいてあげるということが、どんなに癒しになるか。あれもしてあげたい、これもしてあげたい、こうしてみようか、ああしてみようか、ときりきり舞いをしているばかりが介護じゃないのだ。
9月15日
いまにも降り出しそうに低く垂れこめた空を気にしながら城北公園へ。じめじめと森は薄暗く、とてもスケッチのできる雰囲気ではない。早々に引き上げると、兄や姉や姪たちから敬老の日の母へのお花が山のように届いている。ひ孫たちもやって来て、母は大満足だった。
けれども夜に入って、昨日に続いて来てくれていた明子ちゃんを母は怒ってしまった。自分は病気なんだから病気の名前を教えろと迫ったのらしい。「おばあちゃまは病気じゃないでしょ、骨折したけどもう治ったのでしょ」と明子がいくら言ってもきかない。骨折のことはとうに忘れているらしいのだが、入院生活二カ月のトラウマは心に深く食いこんで、自分が病気なのか病気でないのか思い悩み、一人で考え込んでいたらしいのだ。明子に優しくされて、やっぱり病気なんだと思ってしまったのだろう。病気には違いないのだろうけれど。
「神経を病んでしまうと、さっきまでよかった気分でもすぐに変わってしまうの。一分で変わっちゃうことなどちっとも珍しくないの」と昨日の明子は達観したようなことを言い、介護の達人のごとく自信に満ちて振る舞っていたのだが、今日は早くも目に涙をいっぱいためて「ルリコオバチャン、タスケテ」とこちらに縋る。
9月16日
終日雨。母は食欲もあり、とても元気だった。少しの時間だけれど、自室でゆっくりとくつろいでいられるようにもなった。そっとのぞいてみると、椅子にかけて本を読んでいる。「何を読んでいるの?」と聞くと、「田中澄江さんの『花の百名山』。久しぶりに山登りをしたらくたびれてしまったわ」と冗談を言う。珍しく家中がゆったりとした気分で一日を過ごす。まだ紆余曲折はあろうけれど、「静かなる日々」は、もうそこまで帰って来ているような気がする。
9月17日
今日も雨。肌寒い日が続いているが、今朝の母は5点満点だった。
S
病院で向精神薬をいただいてから今日まで、効果を見るために朝、午前、午後、夜をそれぞれ5段階に分けて記録してそろそろ4週間になる。はじめの1週間は劇的に薬の効果が現われた。それでも3からよくて4までの成績だったが、薬を飲む前の、見ていられないような状態に較べればずいぶん安定した。が、次の週にはまたも「ろれろれ」になって薬をやめてしまった。どうしても苦しそうな時にだけ安定剤を服用したが、これも副作用が恐くてやめてしまったことは前に書いた通りだ。
薬なしという状態は今日で5日目になるが、声も表情も動作も大分安定してきている。「年寄りの病気というのは、一進一退ではなく、一進二退なのね」と言った人がいて悲観したこともあったけれど、いまの母は少しづつではあるが確実に快方に向かっているという気がする。「一進一退」ではなく「二進一退」、「三寒四温」だ。母の「春」はもうそこまで来ていると思う。諦めなくてよかった。病院のいうなりに入院を続けていたら、いま頃どうなっていただろう。大腿骨の骨はくっついても、本物の呆け老人になっていたかもしれない。「呆け」とひとは簡単に言うけれど、それは作られた「呆け」だ。手を替え品を替えてやってみたことは全て無駄ではなかった。喜ぶのはまだ早すぎるかもしれないけれど。 |