安全地帯(61)
金髪少年が玄関で靴の向きを変えた
−信濃太郎−
知人の河村保男さんから「子ども大好きだから教師」(文教学院・東京文教社・定価1200円+税)を頂いた。知人といっても河村さんはスポニチ登山学校の生徒であり、スポニチマスコミ塾の生徒であった。そのときに初めて中学校の校長をされた事、先生として国語と体育を教えた事などを知った。マスコミ塾では毎回宿題として出す作文は抜群に上手であった。小柄だが何事にも前向きで、常に闘志満々に見受けられた。中学時代のあだ名が世界的なボクサー ペレスにちなんで「ペレ」とつけれたそうだが、まことに似つかわしい。
子どもたちを集中させるには楽しい授業、面白い授業にしなくてはいけないと、寄席に通い、落語家の語り口、間の取り方を勉強したという。ペレ先生は「なせばなる。やればできる」をモットーに38年間教師をやってきた。この本には「ペレ先生」の珠玉のような言葉が一杯つめられてある。「今の親たちを斬る」(第5回)にはこんな話が出てくる。
ー修学旅行でつっぱりの金髪少年が、全く自然に玄関を上がるときに靴の向きを変えた。あの靴揃えどうして自然にできるのか。それは簡単である。親がしっかりしつけたからだ。幼児のときに厳しく、きっと何回も。理屈はいらないのである。中学生になってからしつけようと思っても、そのときは、たとえ親であってもただのうるさいジジでありババアでしかない。あのつっぱり君、朝起きてしっかり歯を磨いている。これは家庭のしつけの成果であるー
河村さんは今の親たちを見ていると21世紀の日本が心配でならないという。今の親たちの分析である。聞くべき苦言である。
1、子ども要求に寛大で許容的過ぎる。社会の要求よりも子ども要求を重んじる。つまり子どもの言いなりになっている。
2、子どもにとって怖い存在でなくなっている。親としての威厳を示せず友達的存在だ。親と子ドモの立場の区別がついていない。
3、躾なければいけない時期を粗末にしている。言って聞かせればわかるという説得法を大事にし、直接的しつけ法を避けすぎている。
4、子どもの言うことに、もの分りよすぎる。礼儀や言葉遣いが大人として未完成だ
5、男女の性差の特徴を生かした育て方に躊躇している。男女なんでも同じ?勘違いしている。
6、家庭の中で、勇気とか冒険心とか忍耐力をそだてられないでいる。
7、父親が父親の役を果たさず母親が母親の役をはたさないまま、テレビとフミコンと塾が、アイドルとスポーツ選手とマンガが親の代わりに子どもたちを育てている。
日本から親が「手塩にかけた子ども」を見かけなくなったと河村さんは愁うるのである。同感である。 |