静かなる日々 ─
わが老々介護日誌─
(19)
星 瑠璃子
8月23日
「このごろ頭の具合がなんだかおかしいの」
と、母はちょっと笑いを含んで言う。
「おかしいって、どんなふうに?」
「そうねえ。この間まで、まがりなりにもあった自分というものが、あるような、ないような」
95歳の母は、自分の考えを確かめるように、ゆっくりと答える。
私は、ある詩のフレーズを思い出してどきんとする。それは高村光太郎「山麓の二人」の一節だ。詩の中で、智恵子は何度もいう。「──わたしもうぢき駄目になる」。
そのあと、詩はこんなふうに続いているはずだった。
涙にぬれた手に山風が冷たく触れる
わたくしは黙つて妻の姿に見入る
意識の境から最後にふり返つて
わたくしに縋る
この妻をとりもどすすべが今は世に無い
「悲しいわね」
「そうなの、なんだかヘンな感じよ」
そんな会話を交わしながら、けれども穏やかに朝食をすませ、私たちは散歩に出る。張り切って出かけたのだったが途中で母は気分が悪くなり、スケッチをお休みにして早々と帰る。こんなことははじめてで心配だが、昨日の遠出(赤坂の病院行き)で疲れてしまったのかもしれなかった。
昼食後メレリルをはじめて服用。「すぐに効くというものではありませんよ」との言葉どおり、効果はあまりあらわれないなと思っていると、午後も遅くなってから、母は突然50号のキャンバスに向かって油絵を描き始めた。スケッチには毎日出かけるが、アトリエでキャンバスに向かうのは退院後はじめてだ。すぐにも描けるようにと下塗りのしてあったキャンバスに向かって、お気に入りの枯れた花をすごい集中力で描いている。ああ、とうとう入院前の母に戻った
! どうかこの状態が長続きしてくれますように。
8月26日
劇的な薬の効果は、やっぱり一日限りだった。けれども、一日でもそういう日があったということは、またそんな日が来るということ。一歩、一歩、快方に向かっていると信じよう。
昨夜は、転倒がこわくてなかなか服用できなかった夜用の薬(セレーネス)をはじめて試す。そして今朝。「よく眠れたみたい」と足立さんがニコニコしながら言う。足立さんのこんな晴れやかな笑顔を見るのも久しぶりだ。思えば退院2カ月半、朝4時前から車椅子をがたがたさせたり、大声で呼び立てたり、はたまた転んだり
で、母の部屋の真上に寝ている足立さんはまともに影響を受けたのだった。昼間はヘルパーさんが来てくれるからよいようなものの、81歳の足立さんにすればどれほど大変だったろう。
足立さんの言葉どおり、昨日までとはまるっきり違う生き生きとした表情で、母は爽やかに起きて来た。動作までどことなくしゃきっとしている。Y
ドクターへの報告のために朝、午前、午後と分け、薬との関連によると思われる症状を自分流に1から5までの5段階に分けて記録しているのだが、この朝は文句なしの「5」だった。
薬を飲みはじめてまだ4日だが、「5」の評価はこれで2回目。「2」(朝や午後に多い)や「4」(これはだいたい午前中)もあるが、ほとんどの時間帯が「3」のプラス、マイナスで推移している。もっとも足立さんの評価は私よりずっと辛く、「2」が圧倒的に多いのだが。
8月28日
猛暑のなかのスケッチ散歩が続いている。朝食後8時前後に家を出て、石神井公園、光が丘公園、城北公園、樹林公園などを日替わりで描きに行く。
ケンちゃんも一緒にまずは1時間ほどゆっくりと車椅子でロケハンをし、そのあときっちり30分だけ描く。いまはそれが限度だ。それ以上になると、疲れてしまう。
退院後のスケッチブックを繰ってみると、いろいろなことが分かってとても興味深い。「退院後はじめて」と添え書きのあるスケッチ(7月29日付)は明るく落ち着いた絵だが、その後はタッチも色調も次第に強烈になり、ショッキングピンクで荒々しく樹木を描きなぐったり、空を真黄色に塗りつぶしたり、雲はまるで生きもののような激しい渦巻きだ。チリチリと神経が昂っていた時期なのだろう。ゴッホの遺作を思い出した。「悲しみと極度の孤独を表現しようとした」と彼自身が言うあの鬼気迫る「烏の飛ぶ麦畑」を。
8月31日
スケッチブックを拡げたまま、母は居眠りを始めた。
「描きたくない」と言った日は以前に一日だけあったけれど、眠ってしまったのは今度が初めてだ。行き帰りの車の中でも、座席からずり落ちそうに傾いて昏々と眠っている。 どうしたんだろうと考えて、ハッと気づいた。やっぱり薬だ。このところ車の乗り降りも、家の中の動作も妙にたどたどしかった。どんなことでもすぐに「できなーい、たすけて
! 」と赤ちゃんのような声で言い、とろんとした表情で助けを待っていた。これはやはり薬のせいに違いない。直ちに服用を中止。一喜一憂の日が続く。 |