本棚を整理していたら、竹井博友さん(平成15年7月29日死去.享年82歳)の句集「戯言句集」(竹井出版・平成2年11月刊)がでてきた。会社は違うが同じ社会部出身なので、スポニチの社長時代から気軽にお付き合いをしてきた。年は5つほど竹井さんが上である。名古屋では読売新聞中部本社社長として中日新聞と新聞定価をめぐって死闘を繰り広げた猛者であるが、付き合ってみると、飾らず、淡白な人柄であった。しかも趣味は陶芸と油絵と才能豊かな人であった。
俳句は私と同じく師につかず、結社に属さず自己流であった。あとがきによれば、俳句をはじめたのが昭和60年ごろからである。俳句は旅にでたときに飛行機や新幹線の中でつくるという。「俳句は字数がすくないだけに本心がでます。それが俳句の素晴らしさだと思っています」としるす。
旅の句を拾ってみる。「パリ霞むマリアの画像需む宵」「薄氷やロシアの女の無表情」「神殿の柱崩れてミモザ咲く」「荒れはてしアモンの神にすずめ飛ぶ」
なかなかうまい。旅先で私などはこうは詠めない。先日の会津の観光旅行のバスの中で「では一句を・・・」と求められて差しだした句は「人問えばあれが磐梯秋の風」であった。
「戯言句集」の中から心に響いた句を取り出す。
道もなし兵の夢萩ぬるる
竹井さんは自分が歩んできた事跡を濡れた萩にたくしたのであろうか。人が歩む同じ道を歩んでは商売では成功しない。栄古盛衰は一炊の夢である。
いのちとはなんのことやらふきのとう
名 句である。蕗のとうは大地の香りを持つ。たおやかのなかにもしっかりした生命力に裏づけされた輝きがあるとされている。言い得て妙である。私達は自然から教えれる事が多い。
人生に期待も薄れ冬の雨
お迎えの日までとぼとぼ茜雲
句集のあとほど弱気が顔をのぞかせる。「湯の宿の歓喜仏や鯉はねる」「海の湯の老女愉しやつばめ飛ぶ」など艶っぽい句があるというのに残念である。昨今、私にも「ぶざまな死我は避けたき月清し」が浮かぶのだからあまり責められない。俳句はやはり本心が表れる。
(柳 路夫) |