2003年(平成15年)10月1日号

No.229

銀座一丁目新聞

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茶説

新聞は社会の鏡である

牧念人 悠々

 新聞は良くても悪くても社会の鏡である。カンポジアでホームページを開設、児童ポルノ画像を不特定多数の閲覧者に見せたとして41歳のカンボジア在住の男が捕まった(9月5日毎日新聞)。
 掲示されたポルノ画像には売春街で働く少女の写真もあったという。そういえば、船戸与一著「夢は荒れ地を」(文芸春秋)にすごい事が書かれている。斡旋業者がカンボジアの13歳から15歳ぐらいの少女を100ドルから200ドルで買い、それを800ドルから1000ドルで売る。購入者は殆どがタイかマレーシャ華人か華僑である。親が子を手放すのは食っていけないからである。
 日本でも昭和4、5年の農村恐慌のさい、同じような事が起きた。冷害と不況で東北地方を中心に娘の身売りがしばしばあった。東南アジアの華人や華僑は初潮まえの少女と交わると若返ると信じている。散々もてあそんだ末雑用にこき使う。さらに売春宿に30ドルぐらいで売りとばすという。
 こんな記事が目についた。売春ホステスに家出少女58人を抱え、年間3600万円の利益を上げていたスナック経営者ら二人が捕まっている(9月11日産経新聞)。少女達の年齢は15歳から18歳であった。昔も今も何等変るところがない。こと売春に関しては不況、好況関係がないようである。またあくどさやしたたかさに違いがあっても国を問わない。
 高校生の援助交際を描きながら「純愛」をテーマーとしたyoshi著「Deep love」(アユの物語)が売れつづけている理由がわかるようなきがする。この本を読んだ女子高校生が「援助交際を止めます」と感想を寄せてきている。この本は読者に「愛とは何か」「人生はいかに生きるべきか」を真剣に問うからである。さらに映画化も進められている。売らんがためとはいえ、出版者もそれなりの努力をしている。
 新聞を読んで「援助交際を止めます」とか「売春を止める」といってきた読者は皆無であろう。これはいたずらに事実のみを報道し、折にふれて、連載記事にしたりルポルタージュにしたりする企画をたてないからである。新聞が面白くないといつも言われるのはこのためである。常に読者の共感を与え、胸をえぐる記事を掲載しておれば、そのような不満は起きない。今の新聞には機能として提案、解決策、調停の役割などが付加されているように思える。時代は激動する。変化は激しい。「変化の対応」が強く求められる。社会の鏡はさらにしっかりと、鏡を磨かねばならない。

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