安全地帯(57)
密室の犯行写真の特種
−信濃太郎−
大連第二中中学校19回生の「充丘会会報」73号(9月1日発行)に油谷精三さん(当時大阪府警・刑事部鑑識課勤務)が「捜査雑話」として昭和53年に起きた梅川事件を取り上げていた。この事件は残酷、非道、猟奇的であった。1月28日午後、大阪市住吉区、三菱銀行北畠支店に猟銃を持った男(梅川昭美)が押し入り、行員40人を人質に立てこもリ、猟銃を9発発射し、支店長と行員の2人と駆けつけた警官2人を射殺したほか行員とお客5人に重軽傷を負わせた。それだけではない。行員の耳を同僚にそぎとらせ、女子行員の衣服をはいだうえ並んで座わらせ自分の盾とした。強奪した現金は295万円余と自分の借金の返済さをさせた500万円であった。最後は立てこもってから42時間後警官隊に射殺された。
「捜査雑話」で興味を引いたのは「東側シャッターに穴をあけることが出来ました。ここからのぞいた内部の状況は惨憺たるものでした」という記述であった。実は毎日新聞は事件解決後の2月1日の朝刊で支店長席での梅川容疑者の写真が特種として掲載された。他の新聞社をあっと驚かせた写真である。チロルハットをかぶりネクタイをだらしなく緩めサングラスをかけ右手に猟銃をもったポーズをしている。掲載された写真はこの穴から大阪府警が写したものであった。
73号の会報を読んで私は19回生の会長の首藤元男さんに「毎日新聞は写真の入手先についてはあきらかにしなかったが、油谷君が鑑識課の現場担当者だったからこの写真のいきさつについて知っているかもしれない。24年も前のことです」と書き送った。9月20日、首藤さんからきた手紙には油谷さんの「犯人梅川の写真について」が同封されていた。油谷さんには迷惑をおかけしたようである。
それによると、通常の事件は、写真(現場写真帖)は一冊しか作らないが、この事件の場合、重大事件のため公安員会報告用等、数冊つくられた。写真の管理、保管の責任の写真係からか、数冊作成したいずれかのルートからか流失し、あるいは接寫されたものと考えられた。新聞の写真の角にかすかに「ビニールのしわ」らしきものがあった。この時期の写真帖は差し替え自由で、粘着力の弱いノリが縫ってあり、写真と簡単な説明を貼り付け、その上から透明なビニールシートで押さえるものであった。写真をビニールから抜き出さずそのまま接寫されたものと判断された。部内でいろいろ検討されたが、どこから毎日新聞に漏れたかわからないという事で決着がついたという。
毎日新聞側の記録によると「梅川の特種写真に対しては警察の一部には機密漏洩で捜査の声もあったが、最高幹部が『新聞記者な当然の取材活動』と押し留めた」とある(『毎日の3世紀』―新聞が見つめた激流の130年)。 |