2003年(平成15年)8月20日号

No.225

銀座一丁目新聞

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追悼録(140)

リベリアを思う

 アフリカの西海岸のリベリアに強い関心を持つようになったのはちょっとしたきっかけからであった。6月の半ば上野動物園に吟行に出かけた折、アフリカ園にこびとカバを見た。その説明に名はアヤメ、生まれはリベリアとあった。そこで俳句をつくった。「こびとカバ名はアヤメです梅雨晴れ間」「こびとカバ産はリベリア梅雨晴れ間」
 手元の年鑑(1994年版)で調べると、リベリアは面積11万1369平方キロメートル、ほぼ四国と北海道を合わせた大きさである。人口258万人、首都、モンロビア(43万人)。1822年(文政5年)米国植民協会が送った解放奴隷が入植、1847年(弘化4年)アフリカ初の黒人共和国として独立とある。コートジボワール、ギニア、シエラレオネと国境を接している。ところが、3lの移住者とその子孫たちが政治の実権を握り、先住民と対立、部族間の抗争もあって国内は混乱、多数の難民、犠牲者を出した。1997年から続いた内戦も8月11日テーラー大統領(アメリカ系アフリカ人)が退陣、亡命してやっと内戦が治まった。米兵200人、平和維持部隊も首都モンロビアに入り、治安維持にあたっている。
 今、新しく就任したブラー大統領がガーナの首都アクラで二つの反政府組織と西アフリカ諸国経済共同体と暫定政権の構成や総選挙、武装解除などに就いて話し合っているという(8月14日時事通信)。前途多難である。それまでも異常な状態であった。1980年に軍事クーデターがあり、85年には民政移管したものの大統領が殺害されている。その後内戦が続き難民、餓死者、死者を多数出した。独立して156年。国づくりとその存続、発展がいかに難しいかよくわかる。日本でも明治維新(1868年)をめぐり一時内戦状態になり、多くの犠牲者を出した。明治10年(1877年)には西南戦争が起きている。日清(明治27、8年・1894、5年)日露(明治37、8年・1904、5年)両戦争、第一次(大正3年・1914年)、ニ次大戦(昭和16年〜20年・1941年〜45年)を経て今日を迎えている。大東亞戦争では200万人を超える戦死者を出した。300万人が海外から引き揚げてくる体験もした。明治維新から134年。今、日本は平和を満喫している。先人達の尊い犠牲の上でこの平和が築かれているのを忘れてはなるまい。リベリアは「こびとカバ」の存在を見れば日本とはけして無縁ではない。だとすれば「こびとカバ産はリベリア梅雨晴れ間」は悲しい句である。

(柳 路夫)

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