2003年(平成15年)8月20日号

No.225

銀座一丁目新聞

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静かなる日々
─ わが老々介護日誌─

(11)
星 瑠璃子

 6月27日
 ねじめ正一『二十三年介護』を読む。
 著者名はねじめ正一とあるが、<母みどりの手記>とそれを補うねじめの文章からなっていて、79歳で亡くなった夫をほとんど一人で介護したのはみどりさんである。それにしても23年とは、なんと長い介護の歳月だろう。その年月をみどりさんはこんな風に書いていて、心打たれた。
 「お見舞いに来て下さった方から、『奥さんもご苦労が多いですね』『大変ですね』と慰められると、何か自分は人から見てそんなに気の毒なのかなあ、とちょっと腑に落ちない時もありました。……薄紙を剥がすように、という言葉は病気が少しずつ少しずつ良くなる時に使う言葉ですが、主人の脳梗塞という病気はそれこそ薄紙を剥がすように少しずつ悪くなっていく病気です。昨日と今日の悪くなって行く度合いが本当に僅かなので一緒に暮らしている人間は気がつかないほどなのですが、それでも確実に悪くなって行きます。治ることのない病気なのです。介護の人間はその悪くなるスピードをできるだけ遅れさせ、病人が気持ちいいように介護することが大切なのです」
 老耄もアルツハイマー病も、また他の病気でも、医学がどれほど進歩しても手の打ちようがないことがある。手をこまねいて見ているしかないもどかしさ、やりきれなさ。これは人が死に向かって確実に歩いていくことが避けられないのと同じことだろうか。私のパートナーは、癌との壮絶な戦いの果てに亡くなった。67歳だった。何もして上げられなかった哀しみだけが残った。
 
 6月28日
 寝室をフローリングに変える件は「高齢者自立支援住宅改修給付」の対象にならないことが分かった。申請書を出すと連絡があって、屋内改装は介護保険の枠内でやってほしいという。となれば、すでに居間の改装で使ってしまっている分があるため、今度は殆どが自費になる。差額は「自立支援」からと聞いていたので少々落胆。
 門から玄関へのアプローチについては、係りの若い男性が現状を調べに来る。明日は病院へリハビリ状況を見に行きます、ときびきび話して帰って行った。これらの調査が終わり工事計画を出すと、一週間くらいで工事開始許可証が下り、実際の仕事が始められるという仕組みだ。フローリング工事は母の入院中でも可(ただし請求書は退院してから出す)とのことで、明日、明後日と工務店の F さんが見に来てくれることになった。
 先日荻窪の展示場に下見に行った福祉車両は、いつでも試乗OKとトヨタ自動車の K さんから連絡あり。助手席のシートが電動式で出し入れでき、車椅子も電動リフトで積み入れ可能な車だ。しかも身障者の認定が下りれば減免にもなるらしい。なかなか難しいらしいが、申請書は出してみよう。
 手術から一か月半。退院準備(の準備)は着々と進みつつあるが、悲しいかな、こちらの身体は大分ガタがきはじめた。友人が心配して送ってくれたプロポリスなるサプリメントを飲むと、手足がしびれ脂汗が出てますます状態が悪くなった。あまりに疲れすぎていると劇的な症状が一時的に出ることがあるが、これは好転症状といって心配ないのだと友人はいう。けれども恐ろしくて服用は一時中止。一所懸命やってくれているお手伝いさんとも殆ど口をきく気力がなく、わずかでも時間があればベッドに倒れこんで、喘ぎながら横になっている。決定的にぶっ倒れないように気をつけなければ。

 6月29日
 梅雨空のちょっとした晴れ間に大急ぎで母を散歩に連れ出す。リハビリが終わった後の小一時間が、母にとっては何よりも嬉しいたったひとつの楽しみの時間だ。
 梅雨の晴れ間といっても空はいまにも降り出しそうに低く垂れこめ、じっとしていても気持ちの悪い汗が吹き出してくる蒸し暑さだ。そんななかをジーンズ姿の私がいつ降り出しても困らないようにゴルフ用の大きな傘を持ち、冷たいお茶とおやつの入った大きなアイスボックスを肩からかけて犬の引き綱を引きながら車椅子を押すのである。母はといえば病院のピンクの甚平のようなパジャマに紺の手編みレースのボレロを羽織り、麦わら帽子といういでたち。犬は母がいっしょだと気を使ってしずしずと歩いてくれるが、珍妙な一行の姿は人様から見たら殆どマンガだろう。
 国有林に沿った長い坂道を喘ぎながら上る。上りきってから同じような距離をだらだらと下ると、小さな公園がある。その一周500メートルと表示のある小道をゆっくりと周り、途中の石段に腰掛けてお茶にするのがここのところの日課である。緑の木陰で見る母の顔は艶々としてきて、およそ老いの醜さとはほど遠く、邪気というものの全くない明るい笑顔だが、こちらはなんとも重労働で、こんなことがいつまで続けられるかと心配である。
 部屋に戻りベッドに寝かせて帰ろうとすると、母は決まって「もう帰っちゃうの」と悲しそうに言う。「淋しくてしかたがないの」と、たったいまあんなに楽しく終わったお散歩のことをもう忘れてしまって、いかにも心細そうだ。
 「もうすぐ退院ですからね」と耳元で小さな声で何度も言って、帰ってくる。退院、退院と大声で言うのは周りの人に気がひけるのである。どの人も身動きもならず、ただじっとベッドに横になっているだけなのだから。見舞いに来る人も少なく、ベッドサイドに医者の立っている姿もついぞ見かけたことがない。

 7月3日
 先週の金曜日から始めた母の寝室の改装工事がようやく終わる。1日、2日で済むものと思っていたが、部屋が大きくアトリエと一続きになっているので6日もかかった。
 大汗をかいて家具の移動などを手伝う。ついでに大きなレースのカーテンを8枚洗い、貼り終わった床にワックスをかける。前日に連絡しておいたケアーマネージャーが来てくれて、介護保険でレンタルするリクライニングベッドや車椅子、購入するポータブルトイレなどの手配を済ませる。気分が悪く、ほとんどぶっ倒れそうだが、それでも病院通いは休めない。ヨーロッパ旅行から先週末に帰った隣に住む兄夫婦に週末の病院行きを頼む。一日でも休まなくては身体がもたない。兄たちはちょくちょく行ってくれるのだが、きちんとローテーションを組まないと、安心して休めないのだ。

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