2003年(平成15年)7月20日号

No.222

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
静かなる日々
お耳を拝借
GINZA点描
銀座俳句道場
告知板
バックナンバー

 

追悼録(137)

リチャード三世の最後

  演劇集団「円」公演。平松琢也演出・松岡和子訳「リチャード三世」を見る(7月10日・東京・新宿、紀伊国屋ホール)。この作品はシェイクスピアが1592年から1593年の作とみられ、歴史劇であるが、人間を掘り下げ追及するシェクスピアとしては初めてのものである。人間が悪党になり、人を次におとし入れ死に追いやる。そこに憎悪が渦巻く。最後の憎悪の的はリチャード三世その人となる。場面、場面のセリフがすごい。ボズワードの戦い(1485年)で、リチャード三世(金田明夫・グロスター公)はリッチモンド伯(入江純)率いる反乱軍に破れる。馬を射られたリチャード三世は叫ぶ。「馬をくれ、馬を! 馬の代わりに王国をくれてやる!」長兄エドワード四世の時、次兄クラレンス公を、四世死後、その幼い王子二人を殺害するなど11人を殺して手に入れた王国を馬一頭と交換しようというのである。あくまで生きようという執念を見せる。
 この戦いの朝、空は雲に覆われている。リチャードは「誰か今朝太陽を見たか?」「今日は日は出ない」「今日は日は照らない?」と気にする。そういえば、一幕の冒頭でゴロスター公(金田明夫)は言う。「われらをおおっていた不満の冬もようやくさり、ヨーク家の太陽エドワード(佐々木睦)によって栄光の夏がきた。わが一族の上に不機嫌な顔を見せていた暗雲も今は大海のそこ深くのみこまれたか影さえない」
 さらには戦いの前日の夜、11人の亡霊が次々に現れて「絶望して死ね」と言うのろいの言葉を残して消えてゆく。リチャードは長い独白をする。「俺の良心にはどうやら無数の舌があるらしい」「ああダメだ、むしろ自分が憎い。/この手でにくべきことをしたからだ/俺は悪党だ−嘘をつけ、悪党じゃない・・・」
 決戦のとき全軍に「良心などというものは臆病者がつかうことばにすぎない」「われわれにとってこの腕が良心だ」と檄を飛ばす。
 言葉のあやで面白いのは先王ヘンリー六世の王子エドワードの未亡人アン(高橋理恵子)の口説き方である。リチャードはヘンリー六世も王子エドワードも殺している、アンにとって見れば夫の仇、舅の仇である。「手を下させた真犯人は貴方の美しさなのだ。あなたの美しさが私の眠りにつきまとってはなれず、世界中の男を殺したいと想わせたのだ。たとえ一時間でもあなたの胸に生きられるものなら」「貴方から夫を奪った男は、何故そうしたかといえば、貴方にもっと立派な夫をあたえるためだったのだ」アンに剣を渡して「その剣を取られるか、それとも私をとられるか」と詰め寄る。口説きは押しの一手である。
 史実を見ると、リチャード三世の治世僅か3年である。「それほどひどい王ではなかった」ともいわれる。33歳の若さで敗死した。

(柳 路夫)

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。(そのさい発行日記述をお忘れなく)
www@hb-arts。co。jp