2003年(平成15年)7月20日号

No.222

銀座一丁目新聞

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静かなる日々
─ わが老々介護日誌─

(8)
星 瑠璃子

 6月8日
 前記の本、吉本隆明とPTの対談集は呼吸の大切さについても触れていて、とても参考になった。以下に引用すると、
 「吉本 ぼくが体験的に大事だと思うのは『呼吸』ですね。呼吸があぶなっかしいと、すぐ息が詰まってしまうというか詰めてしまう。息が詰まるとすぐにころんだりします。  三好 呼吸を合わせるとか、息を合わせるという言葉がありますね。あれは比喩ではないんですね。介護する側にされる側の呼吸が見えて、それに合わせるようにするとすごく楽なんですよ。介護される側も心理的に落ち着いて、無駄な力を使わない感じですね。だからすぐに痛がるお年寄りでも、息があってると痛がりませんね。介護の上手下手って、呼吸が感じられるかどうかだと思います」
 
 すごいな、と感じた母のリハビリの進捗状況は、昨日は早くも小休止となる。
 前日にできたはずのこと、つまり車椅子から立ち上がること、その姿勢からベッドに座ること、少しづつ歩くことなどが、この日はちっともできないのだ。PTの女性 はあっさり諦めたが、こちらはひとりやっきになって、「おかあさま、こっちを見て。さあ一緒に深呼吸して!」などと孤軍奮闘の小一時間のあと、ロビーでいつもの通りお茶にするとようやくご機嫌がなおった。
 そして今日。早朝に行くと、なんだか様子がおかしい。「余計なことをしてしまったの」としょんぼりしている。聞けば、ベッドから転落してしまった! とのこと。肝を冷やす。
 なぜかよく分からぬが(当人は忘れてしまった)、夜中に柵を乗り越えてベッドを下りようとしたのだそうで、そこで転んでしまったのだった。大音響に看護婦さんが駆けつけたときは仰向けに倒れていた。
 何ごともなかったからよかったものの、もし何かあれば、これまでの苦労が水の泡ではないか。お手洗いに行きたかったのだろうか。それとも家にいるとでも勘違いをしたのだろうか。
 呆けてるなあと、いつもならいささか絶望的にもなるところだが、先の対談集で吉本隆明がこんなことも言っていて、まだそれほどのトシでもない、こんなエライひとが、と、こちらはそんなことにも安心するのであった。少し長いが引用してみよう。

 「吉本 ぼくね、一回だけこのあいだ夜中に呆けたんです。われながら『これはひでえもんだ』と思ったんです。
 夜遅くなってから、だれかが来たと思い込んだんです。みんなを起こすのはなんだから、玄関から隣の部屋、それから庭をまわってくればだれも起こさないで来られると錯覚したんです。それで玄関に積んである箱を夜中に勝手に持ち上げたり移動したりしたらしい。……
 それから部屋に入ってみたらそこだけ明るいんです。それで、この障子を破ればいいんではないかと思ったんです。……   
 朝起きてみたら惨憺たるもので、障子破けているんです。ぼくが破ったのだからしょうがないけど、『おやー、これはひどいものだ』と思って娘に聞いたら、『さかんにひとりで働いていたわよ』というんです。……『ありゃ、おれはこれでそろそろ呆けるのかなあ』と思った。
 それでこのあいだ森山公夫さんという精神科のお医者さんに聞いたら、彼は『拘禁状態が原因だ』というんです。つまり溺れた事故以来、足も目も弱っているからあまり前ほど外へ出て行かないので、いってみれば出て行くのは前の十分の一ほどで、それも用事を済ませるとすぐ帰ってきてしまう。それは呆けのはじめとはちょっとちがうんで、拘禁状態がそうさせているというのが彼の解釈でした。……
 三好 そのとき周りが対応を間違えたりすると、呆けに入ってしまうことがすごく多いんです。……『わあ、たいへんだ、呆けた』と大騒ぎしていたら、大騒ぎされたほうはすごく自信を喪失して、アイデンティティイが崩壊してしまう」
 
 6月10日
 はじめて夕食を食堂で食べた。もちろん車椅子に乗ったままだが、テーブルに向かっての食事の、なんと久しぶりのことだろう。入院一か月。欲をいえばきりがないが、よくぞここまで来たと思おう。
 けれども身体が少しよくなってくると、こんどはとてもわがままになって、暑いの寒いの、痛いの苦しいのと結構うるさい。仰向けに寝たままで、か細い声で苦しんでいるときはどんなにでも優しくなれたが、回復期に入ったこれからがむしろ介護はむずかしい。 リハビリにしても、疲れたというのをあえて無視して(そうでなくてはちっとも前へ進まないのだ)「がんばって ! 」と励ますと、「がんばってますよ。でもこんなのは訓練じゃない。イジメです」と反撃にでるのだ。
 怒らずに最後までつきあうこと。これからが正念場だ。心して、心して怒らないこと。何があっても、静かな優しい気持ちで過ごすこと。
 ところでリハビリが終わったあとの夕食までの時間だが、これが長過ぎていつも母はもてあましてしまう。車椅子に乗せてあちこち歩き回るのにも限度があるし、母は家にいるときのように本を読んだり新聞を読んだりを少しもせず、ただ早くベッドに横になりたくてたまらない。こちらはなるべく起きている時間、水平ではなく垂直の時間を引き延ばそうとあれこれ知恵をしぼるのだが。
 なんだかがっくり疲れて帰宅。家へ帰ると口をきく元気もない。

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