2003年(平成15年)5月20日号

No.216

銀座一丁目新聞

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静かなる日々
─ 老々介護日誌─

(2)
星 瑠璃子

 5月15日
 入院5日目。突然の入院ショックと度重なる病室の移動で、母は疲れ切ってしまったようだ。7度5分の微熱がずっと下がらず、昨日からは食欲もない。
 なぜそんなに部屋替えがあったかといえば、はじめは空き部屋がなく一般外科病棟の有料の4人部屋に入り、整形外科のベッドに移ったのが3日目。そしてようやく昨日、手術前後の処置のためにナースステーション隣りの個室に移されたのである。
 少し落ち着いたかと思えばストレッチャーに載せられてエレベーターを上がったり下りたり。鎮痛剤を飲んでいるとはいえ痛い体は1ミリも動かすことができない、そんな身体で病院の長い廊下を行ったり来たりでは、老人でなくともいいかげんワケが分からなくなるだろう。しかもその間、「ご診察もなにもないのよ」と母は切なげに訴えた。
 これまで病気らしい病気をしたことがなく、病院というものにまったく不案内な母には、どんなにか不安な日々だったろう。「入院は正解だったのか」という思いが一瞬胸をよぎるが、若い人ならともかく、大腿骨骨折は手術によるしか治療の方法がないのだ。 
 
 5月16日
 緊急入院より1週間を経て、手術日を迎えた。手術はなるべく早くに、と聞いていたので、一日千秋の思いで待ったその日がようやく来たのである。朝9時40分、手術室に入り、昼の12時、無事部屋に戻った。
 手術は順調に行われたとのこと。年齢に比して骨はしっかりしており、血も濃くて出血量、血圧などにも問題がなかった。ただし筋肉がほとんどなく(ふっくら見えるのはすべて脂肪だそうだ)、体重も重すぎるので、年齢的に言っても歩けるようになるかどうかは疑問、と執刀後の主治医から説明があった。この医師はこればかり言う。
 腰から下の麻酔だったので、母の意識はしっかりしており、青い顔で目を閉じたまま、お水が飲みたいとうわ言のように繰り返している。その細い小さな声が、家に帰ってからも耳から離れない。
 
 5月17日
 手術後2日目、朝6時。信号を待つさえもどかしく、病院までの道をぶっとばす。むかし、悪友が、「青信号は渡る、黄色は急いで渡る、赤はどんどん渡る」とぶっそうなことを言っていたのを思い出す。ここ1週間、私の運転はほとんどそんな感じだ。赤いTシャツ、大きな黒い帽子のおばさんが、だ。こんなときこそ、事故がないようにしなければ。アセラナイ、アセラナイと心にいいきかす。
 土気色の顔色ながら、母の容態は思ったより落ち着いて見えた。閉じていた目を開けて、うっすらと笑う。昨夜は無意識に点滴の管を引きむしってしまったとかで、両手をベットに縛られている。「お水、お水」と細い声で繰り返すが、水はまだまだ飲めない。

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