2003年(平成15年)5月10日号

No.215

銀座一丁目新聞

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安全地帯(44)

−道に落ちたるものを拾わず−

−信濃 太郎−

 毎日新聞写真部記者によるアンマン空港爆発事故は軽率の一語につきる。考えられない事故である。それが昨今、しばしば、起きる。これからも「考えられない」事故、事件は起きる。一つは現代人は危機管理能力が皆無だからである。これは想像力欠如からきているし、目先のことしか考えないからでもある。
道端に転がっている小型爆弾が不発であっても危険でない証拠はどこにもない。信管がついている限りいつかは何かのショックで爆発する。道で拾ってきて助手とキャッチボールをしたから「安全だ」と思い、バッグにいれたという。万が一と言う危機管理の考えが全く欠落している。小型爆弾が爆発するという想像する力がないのである。「最も日本人くらい想像力の欠落した国民はない」といわれる。今出海さんの指摘である。一カメラマンにそれを求めるのは無理な話かもしれない。
仕事のできるカメラマンだと聞く。残念である。戦場に取材に行くのであれば、兵器、武器の知識ぐらい勉強したらどうか。そのようなことは、必要ないと考えているならば、間違いである。よい写真をとろうと思えば、基礎知識がなければいい物は撮れない。また自分の身を守るためにも必要な知識である。
二つめが恥を知るという意識の欠如である。戦前,中学の漢文の時間に「道に落ちたるを拾わず」と教えられた。道に落ちているものをこそこそ拾わない。さもしいことをするなと戒められた。現代はどうか。一見紳士風な男性が駅構内のゴミ箱をあさっているのをよく見かける。いかに無様なことであるかが本人はわかっていない。恥というものを知らない。現代は「無恥の時代」といえる。
記念品に持ち帰えろうとしたという。友人に言わせると、それは新聞記者のおごりだという。一般の人は戦場の落し物を拾って記念品とする事が出来ないからだ。大体、物を拾う行為がさもしい。ただの物で済ませようとする品性もよくない。こう考えると、軽率であったなどというだけで済まされそうにもない。記者教育もさることながら人間教育こそが必要に思われる。

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