花ある風景(129)
いま、何故 スパイ・ゾルゲか
並木 徹
篠田正浩監督の映画「スパイ・ゾルゲ」を見た(4月28日・日本記者クラブ。6月4日から東宝系で全国公開される)。ゾルゲの素晴らしい情報収集力には驚くほかない。人脈の造り方、人との折衝の仕方など感心する。「この映画を撮れたら死んでもいい」と篠田監督は言う。それには「ゾルゲと尾崎が分析したような情報が楽々と手に入るようなジャーナリズムを、現代の日本にも確立したい」という願いがこめられている。その意味ではジャーナリスト必見の映画といえる。それだけでなく新聞記者に奮起を促すものでもある。
新聞記者の取材力が落ちている。役所の発表がなければ何も書けない記者が増えている。自ら取材し、集めた情報を分析する能力も低下している。「ジャーナリズムこそ我々民衆が今、どのような状況にあるのかということを知る唯一の窓口である」と篠田監督は訴える。ドイツの新聞フランクフルター・ツァイトゥンクの記者として来日したリヒャルト・ゾルゲ(イアン・グレン)は極めて優秀なスパイであった。「御前会議」の内容などそう簡単にわかるものではない。それをちゃんと取材している。昭和16年7月ドイツとの「スターリングラードの戦い」の前に「日本はソ連に侵攻する意思なし」とモスクワに打電した。これは「御前会議」(昭和16年7月22日)の「南方進出の歩みを進め、又情勢の推移に応じ北方問題を解決す」の決定と尾崎秀実の「南進説確実」から判断したものである(白井久也著「未完のゾルゲ事件」より)。とりわけ昭和15年9月の日本軍、仏印進駐の分析は鋭い。ゾルゲはこれで日本は米英を敵に回した。戦争は必至と判断した。当時これだけの分析できる者は少ない。この地域への進駐は東南アジア全域を制覇する第一歩であり、英米のアジアでの前進基地である、シンガポール、フィリピン、香港への重大な脅威であった。事実、ハル国務長官は再三にわたり「これはアメリカの安全保障を脅かす行動である」と非難している。
ゾルゲが信頼を寄せていた朝日新聞記者、尾崎秀実(本木雅弘)の存在も見逃せない。信念の人であった。「権力を裏切っても国民を裏切らない」という言葉にも良く現れている。近衛文麿首相(榎木孝明。昭和12年6月第一次、同年7月第二次、昭和16年7月第三次と三度首相となる)の中国問題のブレインであった。
ゾルゲは第二次大戦を次のように予見していた。日本は石油などのエネルギー資源に乏しく(満鉄の日米生産力基礎調査では石油は500対1、石炭10対1、鋼鉄20対1であった)、戦争状態を長期に維持することは出来ない。戦争を始めれば、必ず負ける・・・ゾルゲだけが昭和の日本で、真のジャーナリストの役割を果たしていたのかもしれないと、篠田監督はいう。今、これに反論できるものがいるであろうか。 |