2002年(平成14年)11月10日号

No.197

銀座一丁目新聞

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追悼録(112)

 来日したジャン=リュック・ゴダール監督が陛下の「日本の映画監督で好きな人はいますか」の質問に答えて、溝口健二の名をあげ「『雨月物語』などを見ると、映像の美しさに五分で涙が出てきます」と答えたという(10月30日「産経抄」)。嬉しい話である。溝口作品がフランスのヌーベル・バーグ作家達に強い影響を与えた事はつとにしられている。「雨月物語」は1953年、大映京都制作である。上田秋成の原作の怪奇文学に迫り、幻想的な雰囲気をかもし出した撮影手法は見事であった。「雨月物語」では全体の7割がクレーンで撮影されたという。2年後に制作された「新・平家物語」では冒頭の群集のシーンをみて、その素晴らしさにゴダール監督が映写室に入ってフィルムを確かめた逸話まである。溝口に傾倒する気持ちはよくわかる。
 映画「雨月物語」は秋成の原作の巻之ニにある「浅茅が宿」と巻之四の「蛇性の婬」をもとに川口松太郎が小説にしたものを依田義賢が脚色した。人に感動を与える映画は原作が名作であると思う。名作の心が脚本家、監督を動かすように思えてならない。「雨月物語」の解説を読むと、「秋成の怪異描写は、もちろん恐怖・戦慄を誘うものではあるが、それにもかかわらず、けして醜悪さを感じさせるものがない。むしろ清らかで、清々しい後味をさえのこすものとなっている」とある(現代語訳日本古典文学全集「雨月物語・春雨物語」重友毅・中村幸彦)。
 「浅茅が宿」にある歌は素晴らしい。「さりともと思ふ心にはかられて世にけふまでいける命かな」「蛇性の婬」には男のこんな言葉が飛び出す。「孔子さえも迷うといわれる恋のためなら、わたくしもすべてを忘れて尽くすつもりです」
 ゴダール監督は記者会見で「日本には日本映画は存在していない。それは日本民族の顔が見えるような作品がないからだ」と語ったという。そんなことはな
い。ゴダールが日本映画を見ていないだけである。市川昆監督「おかちあん」、小泉尭史監督「雨あがる」山田洋次監督「たそがれ清兵衛」がある。だた良い作品が少なくなり、良い映画に観客が足を向けなくなったといえる。
 溝口健二がなくなって46年(1956年8月、死去、享年58歳)、今の日本映画界の状況を見たらゴタール監督と同じように嘆くのであろうか。

(柳 路夫)

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