2002年(平成14年)11月10日号

No.197

銀座一丁目新聞

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競馬徒然草(28)

−光と影− 

 この前、「アッパレアッパレ」という名の馬のことを書いた。鮮やかに勝ち、競馬実況放送のアナウンサーが、興奮気味に馬名を連呼していたものである。アナウンサーの叫び声が、「天晴れ! 天晴れ!」と、褒め称える叫びに聞こえたことにも触れた。その「アッパレアッパレ」が、また勝った。11月3日、京都競馬の10レース「花園ステークス」(ダート、1800メートル)。3番手の好位置でレースを進め、鮮やかに抜け出して2着に4馬身差をつけた。騎乗したのは武豊騎手で、この勝利で年間100勝を達成。勝利に花を添えた。
 武豊騎手(33)の年間100勝は13回目。これは騎手最年長の岡部幸雄騎手(54)と並ぶ史上1位。今年は海外遠征のほか、ケガによる休養もあった。それを考えると、「天晴れ」というほかはない。岡部騎手との年齢差からも、この記録の更新はまだまだ続くだろう。ついでにいえば、デビュー以来の通算勝利数が2000勝の大台に達したのは9月21日で、史上4人目。デビューから15年6カ月での達成は、これまで最速だった河内洋騎手の27年4カ月を、約12年も上回るスピード記録。11月3日現在の通算勝利数は、岡部騎手の2859勝、河内騎手(47)の2082勝に次いで、武豊騎手は2031勝で3位。このうち河内騎手は来年2月に騎手を引退、3月から調教師として新たな人生をスタートさせることを決めている。岡部騎手の残る現役期間も短いと思われるから、武豊騎手が記録を塗り替えるのは間違いないところ。
 ところで、河内騎手と武豊騎手は、ともに栗東の武田作十郎厩舎からデビュー。河内騎手が兄弟子として後輩の面倒も見てきた間柄である。騎手引退の最後のレースには、また1つのドラマが生まれるだろう。
 騎手の引退には、一抹の寂しさが漂う。中央競馬の騎手ほどの華やかさはないが、地方競馬にはこんな話題もある。大分県の中津競馬が廃止になったことは、ご存じの人も多いだろう。その中津競馬のベテラン騎手有馬澄男騎手(45)が、兵庫県尼崎市の園田競馬場に新天地を求めた。騎手会長として13人の後輩騎手の行き先を見届けた上、自らの転進を決めた。中津競馬で地方競馬現役4位となる通算3516勝を挙げたベテラン。それでも兵庫で騎乗するためには、1度引退し、騎手免許の再取得が必要だった。妻子4人を中津市に残し、厩舎に寝泊りして馬の世話をすることから始めた。その努力の甲斐あって、騎手免許の再交付、再出発に漕ぎ着けた。
 騎手に定年制はないが、体力的な衰えからくる引退時期は早い。中央競馬でも現役騎手の年齢を見ると、45歳以上は関東に4人、関西に3人だけである。このうち前記の岡部、河内の両騎手を除けば、今年11月までの勝利数は1人が11勝で、他はそれ以下。僅か3勝止まりの騎手もいる。実力の世界とはいえ、その明暗の差は大きい。現役引退後の再出発にも、外部からは窺えない、厳しいものがあるようだ。先程の有馬騎手の例など、その象徴的なものといえるだろう。そこに騎手として生きてきた人間というものの、「光と影」を見るような気がする。

(宇曾裕三)

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