ある教師の独り言(6)
−水野 ひかり−
新任のとしから九年目に新しい学校に移った。学校の回りには田畑が広がり、レンゲのピンクと遠くに見える秩父の山々の青、若草の柔らかな緑が美しく、この学校に通うことがとても嬉しくなってしまったのを覚えている。自宅から学校まで自転車で行くと、ヒバリの鳴く声がしたり、白鷺がぱっと飛び立つのを見ることができる。田んぼのあぜ道にはセリを採る人たちもいてほのぼのとした風情があった。子どもたちも柔らかな受け答えができる子どもが多く、担任した五年生とスムースにスタートがきれた。
このクラスの子どもたちとは二年間の付き合いをした。五年生で培ったクラスの高まりをさらに伸ばせるようにしようと二年目の四月始め私は子供たちと色々と話し合いをした。国語の授業では全員発言は達成しているから、それがもっと中味の濃いものに出来ないか。卒業を前にしてクラスの皆で何かやり遂げられる事を計画してみたい。算数や理科で面白い事業の流れを仕組めないか、等、私自身も襟を正さねばと、思う意見を次から次に出してくる子どもたち。この子どもたちに良い思い出をたくさん作れるように努力しなければいけないと思った。
そんな折、学校では性教育を研究しようと言う話が高まった。こともあろうに私が研究主任になってしまった。性教育には前から関心を持っていて本や資料は集めていたものの主任なんてとんでもないと思った。が、スタートは切られてしまった。
性教育を進めれば(すすめかたにもよるであろうが)命の尊厳に突き当たる。大人に向って生きていく自分を自覚できる大切な教育である。今では随分当たり前になってきたこの教育も当時はかなり抵抗があった。「性教育の研修会を始めます」という放送を流して校長に注意された事がある。「「他所の方が耳にして誤解するといけないから、研修会をしますだけでよい」というのだ。中学校の先生達にもこういわれた。「○小では性教育をやっているんだって? 大丈夫かな、うちの学校に来たとき直ぐに不純な交際を始めたり、変に知識をひけらかしたりするこが多いと大変なんだよね」と。そういう時代に始めた性教育であった。
六年生の性教育は「ひととは」何だろうか。「人間とは」何だろうか。という壮大なテーマを掲げてスタートした。一学期の終わりからプリントにそれに関する記事を載せ子どもに揺さぶりをかけるように読ませていった。狼に育てられた少女達のこと。人間は人間に育てられなければ人間に育だたないのだ。という事は子ども達にかなり衝撃であったようだ。そしてひとはひとと関わっていくことで育てられていくのだと言うことを理解した。それから自分の命を探ろうとして両親や祖父、祖母、親戚の伯母さん、伯父さん達に自分の生まれる前の事生まれてから今日までのことを取材させた。そうした中で生命誕生の授業をした。
また性交も自作の絵を基に教えたが、子ども達は誰一人ふざけた態度をとる者はいなかった。真摯な目で見つめ耳を傾けていた。説明した後、子ども達に感想をもとめると、こんな意見が出された。「私達は時にはさびしくて誰かに慰めて貰いたいと思います。だから自然に誰かとだきあえるかもしれなし、これからセックスもするかもしれない。でもセックスするっていうことは命を作り出すって言う行為であるということも知っている私たちは考えなくちゃいけないと思う」「命を作ると言うことは自分が親になるって言うことを自覚しなくちゃいけないと思う.親になるって言うのは人間に育てる責任を持ってなければならないんだと思う」
性行為はいつもそのように責任感を持ちながらする者ではないが、このような気持ちは心のどこかにずっと持って欲しいと子どもたちの話を聞きながら思っていた。このように性教育は良い成果をあげていった。他の学年でも親子の愛情の深さ結びつきの大切さを再確認する事が出来た。といった話があり、三学期の半ばには一年間の研究がとてもよいものになったと確認していた。そんなころ研究のまとめをし、どの学年からもそれぞれに良い成果を報告する会議をした。そこで一人の教師が挙手しこう質問した。「先生方は良い報告ばかりしている。しかし、うちのクラスでは『性教育なんてエッチな勉強はいい加減にやめて欲しい』と女子を中心によく訴えていた。殆どの先生方は出産前後の親の感動をメインにして授業を進めておられるが、自分自身もその感動によってしまってのぼせているように見える。先生方は子どもたちの本当の姿を本当に見ているのだろうか。親は誰もがその子の誕生を心待ちにしていたのか。感想を書かせれば人の目を気にして一応子どもに生まれた喜びを書くだろうが嘘くさくはないだろうか。それを見ぬいた子どもはどうするだろうか.この学習をしたことで親子関係がおかしくなったりはしないだろうか」。 |